最新更新日:2024/04/25
本日:count up1
昨日:12
総数:9112
2024年度のセミナーを募集しております。多くの皆様のご参加をお待ちしております。2024年5月のセミナーへの申し込みができます。右「行事予定」のバナーからGoogleフォームで申し込みをお願いします。

12月3日(土)13:30より第9回セミナーを実施しました。

 12月3日(土) 13:30〜15:30に第9回セミナーを愛知文教大学201教室において実施しました。講師には、学び合う学び研究所フェロー 内田 吉哉 先生をお招きし「身近な暮らしの歴史を学ぶ ―江戸時代の尾張のお酒事情―」をテーマに行いました。
 内田先生は、午前中に小牧市の「愛知文教大学連携市民講座『尾張年中行事絵抄』に見る尾張名古屋の暮らし」の講師を務められ、午後、本セミナーを担当されました。

 セミナーの内容は以下のとおりです。
1.はじめに
(1)江戸時代の「普通の暮らし」はどのようであったのか?
 ・磯田道史『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」 の幕末維新』 (新潮新書、2003年)
 ・笹井さゆり 「江戸時代のちいさな話」から紹介されました。
(2)尾張地域ならではの特徴はあったのか?
 ・近世後期に書かれた『尾張名所図会』の挿絵から昔の暮らしを考える

2.「尾張名所図会」とは
(1)ベストセラーになった「名所図会」シリーズ
 ・名所図会とは?= 名所・旧跡などを、 絵画をまじえて紹介する通俗地誌
『都名所図会』(安永9年〔1780〕 刊行)=京都の名所旧跡を解説からはじまり、続いて江戸、摂津、大和、河内、など刊行
(2)「尾張名所図会」とは
 ・著者=野口道直(名古屋の町人)・岡田啓 絵師=小田切春江(尾張藩の絵師)が担当し、天保12年(1841) に原稿が完成し、全編の刊行に70年間を要した。
(3)「尾張名所図会」に描かれた尾張の「見どこと」
 ・(観光スポットとして)城、寺社、祭礼、 史跡
 名古屋城、 熱田神宮、 津島天王祭、 桶狭間古戦場など
 ・(ショッピングガイドとして)有名な店、地域の名産、街の賑わい
 伊藤呉服店、 大丸屋店、 風月堂、 沢庵漬、 熱田神宮一の鳥居、 熱田の浜夕上がり魚市など
 ・尾張でおこった珍事件
 享保14年(1729) 象の到来、享保20年 (1735)アシカ捕獲

3.「尾張名所図会」に見られる酒宴、飲酒と酒造
 酒・飲酒・酒造に関する挿絵は、合計 21件確認できました。
 ・それぞれ「伝承」「料亭」「茶屋」 「屋内」 「屋外」 「酒造」 と分類できます。
(1)伝承
 ・「加藤清正石引の図」、「秀吉公貧賤の時お寧々の方と婚礼の図」など
(2)料亭
 ・「酔雪楼遊宴の図」 (名古屋市中区)・「築地楼上の遊興」(名古屋市熱田区)・「得宜楼」 (津島市)
(3)茶屋
 ・「七寺境内の茶屋 池面の夏景」 (名古屋市中区大須 長福寺)「岩塚駅」(名古屋市中村区岩塚町)
(4)屋内
  「安楽寺本尊に魚を供養する図」(愛知県知多郡南知多町)
(5)屋外
 ・「堀川日置橋より両岸の桜花を望む図」(名古屋市中区)・「山吹谷」(名古屋市東区飯田町)・「東山の春興」 (名古屋市瑞穂区)・「虫供養」 (知多半島一帯)「筏川の南涯桃林春興の図」(愛知県弥富市)「龍淵」(愛知県瀬戸市)
(6)酒造
 ・「神明太一宮 井出神社 銘酒千代鶴店」(愛知県岩倉市)
 「当郡東西の諸浦酒造家多し何れも江戸へ運送す」 (愛知県半田市か)
 以上、尾張名所図会の挿絵を見ながら、具体的な解説を聴くことができました。

4.「尾張名所図会」に見られる酒器
(1)近世において日本酒はどのように飲まれていたか?
 ・『三養雑記』
 延喜式内膳司の土熬鍋は、今のかん鍋にて、上古よりその器もあれど、煖酒は重陽
の宴より、あたためて用ゆるよし、一條兼良公の御説のよし、温古日録に見えたり。
 ・ルイス・フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』
われわれの間では葡萄酒を冷やす。 日本では、〔酒を〕飲む時、ほとんど一年中それを暖める。
(2)『尾張名所図会』 に描かれた酒を燗する様子
 ・『守貞謾稿』
 チロリ 銅製 京坂ニテタンポトモ云/近世チロリニテ湯燗セシ也
 近世銚子専ラ小形也 チロリニテ燗シテコレニ移ス也
(3)『守貞謾稿』に見る飲酒文化 (江戸風と上方風の違い)
 ・京坂今モ式正略及ビ料理屋娼家トモニ必ラズ銚子ヲ用ヒ燗陶ヲ用フルハ稀也。
 ・江戸近年式正ニノミ銚子ヲ用ヒ略ニハ燗徳利ヲ用フ。
 上方は、チロリで暖め銚子で供し、江戸は徳利を用いていたことが読み取れた。
(4)『尾張名所図会』に見る銚子と燗徳利
 ・描かれている燗酒は、チロリを使用していることが読み取れる。そのことから尾張は、関西域に入るのでは?しかし、津島の料亭では、銚子と徳利の両方で燗酒を供している。

5.「尾張名所図会」に描かれた寿司
(1)近世後期の 「すし」 はどのようであったか?
『守貞謾稿』
 三都トモ押鮓也シガ江戸ハイツ此ヨリ歟押タル筥鮓廃シ握り鮓ノミトナル筥鮓ノ廃セシハ五六十年以来漸クニ廃スト也
 又因、 文政中大坂道頓堀戎橋南二江戸ノ握り鮨ヲ学ヒ製シール今ニ至リテ此戸アリ。 天保中尾ノ名古屋ニモ伝製之ヲ開ク。
 当時、尾張では「押しずし」を食べていたことが分かりました。
(2)『尾張名所図会』 では、どのようなすしが描かれるか?
 ・「天王寺片端試楽」 (那古野神社 名古屋市中区丸の内)の挿絵では、「早すし」の文字を読み取ることができます。
『嬉遊笑覧』
 早鮓といふも一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の鮓を苞に入、焼火にあぶりておもしをつよくかくる、又は柱に巻つけてしめたるもよし、一夜にてなるといへり、此外塩魚、干魚等を漬ること、雍州府志などに見えたり

6.意見交流会
〇いわゆる、教科書に載っているような歴史ではなく、もう少し踏み込んだ内容で学んでいくことができれば、子どもたちの歴史学習が、暗記するだけのつまらないものではなく、おもしろく学ぶことができることを知ることができた。今日のセミナーでは、当時の出版物の「普通の暮らし」から、歴史的な事実を学ぶことができた。
〇私の住んでいるところでは、中嶋砦の戦いがあった。その地域では、伝承として「あの場所は、処刑場があったから家が建たないよ」とか「ここは、堀があったよ」などの伝承があり、実際に祖父からよく聞かされた。こうした、その地域に残された史実の伝承は、社会科の学びを豊かなものにすることを、改めて本日思い返した。小学校や中学校の社会科の教師は、本日学ばせていただいた史料の読み取りのような視点が重要だと感じました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆尾張名所図会という、図が中心だが、あくまでも名所案内が目的の史料から、尾張地方で日本酒(お酒)がどのように飲まれていたかを明らかにする手法が新鮮でした。
もっと細かい史料が見つかれば、もっと詳細な考察ができるということでもあります。本来の目的に合致した史料が、そんなに運良く見つかるものではありません。それでも、ある史料をどう使うかで、新たな知見が生まれることがあります。
小牧市資料研究員会の坂下会長(応時中校長)に参加していただいたことで、小牧市の郷土史研究が、これまでの先行研究資料の解説にとどまらない、新しいステージに立てればと期待しています。

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

配布文書

愛知文教大学 学び合う学び研究所
〒485-0802
住所:小牧市大草5969-3
TEL:0568-68-6161