最新更新日:2024/12/19
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2024年度のセミナーを募集しております。多くの皆様のご参加をお待ちしております。2025年1月の学習講座の申し込みができます。右「行事予定」のバナーからGoogleフォームで申し込みをお願いします。

3月9日(土)13:30より中川行弘先生による継続講座2回目を実施しました。

 3月9日(土)13:30〜15:30に、201教室において継続講座2回目を実施しました。
 講師は先月に続き中川行弘先生です。「子どもの発達障がいを疑う前に」「まずは応用行動分析の手立てで」をテーマに行いました。
 今回のセミナーには、4名の方の申し込みがあり参加者の本音が聴き合える和気藹々とした雰囲気の中で進みました。セミナーのスケジュールは以下の通りです。

第1部 前回のビデオについて(コンセプトなど)
〇資料をもとに対話
協 議:「子どもの発達障がいを疑う前に」「まずは応用行動分析の手立てで」
〇本日の授業ビデオについて
 ― 休 憩 ―
第2部 ビデオ視聴、対話、協同探究

第1部 前回のビデオについて(コンセプトなど)
 2月の講座で視聴したビデオ(6月)と同じ教室(2月)の国語「初雪がふる日」の授業ビデオを視聴しました。
 中川先生は初任者指導を担当されています。ビデオ教室の担任の先生を含めた複数の初任者と共有された授業づくり、学級づくりのコンセプト、環境構成、授業デザインについて説明を受けました。
○コンセプト
 学ぶのも、準備も、読むのも子どもがすすめる。あえて、子どもたちからの要請を待つ。子どもたちにとっては、初めての○歳であり、○年生である。出会いを大切にする。わからなさを大切にし、誰もが有能な学び手であることを前提とする。
○だれもが学びやすい環境構成
 ペア・グループ、学びの作法、(物質的にも・心にも)壁をつくらない、魔法の紙(思考や学びのまとめを考えるときに一枚の紙を与えたところ、子どもたちは絵や表など考えの断片を書きはじめた)、ICT、教師が手本、おせっかいしない(先回りしない) 
○だれもが学びやすい授業デザイン
 刻まない(ショートステップですすめると待つ子どもを育てることになる)、振り返りが軸、いきなり、珠玉の数分(振り返りを軸にいきなり学びへ誘う)、ざっくり、シンプル、活動的、協同的、表現的な学び、単元で学習○/○(子どもたちが学習の見通しを持てるように)、着想(早食い<早く解ければいい>?大食い<多くの問題を解く>?早飯<先取り学習>?)

〇資料をもとに対話
協 議:「子どもの発達障がいを疑う前に」「まずは応用行動分析の手立てで」
中川先生◆ 参加者●
●先ほど見せてもらった授業ビデオの中で、グループによる音読の仕方が子どもたちに任されていました。子どもたちが選ぶことが、特別の支援が必要な子どもにとっても必要で、とてもいい学び方だとおもいました。中川先生のおっしゃった「着想」とは学び方を学ぶということでしょうか。みなさん、どうですか。
●私の学校では「探究」では、ある程度知識を伝達しないと調べ学習が進んでいかないですね。
●先生の担当教科は英語ですよね。英語の授業で生徒が学びのプランを発見する学びは難しいと感じていますがいかがでしょうか。
●英語は、大学の学生に模擬授業を考えさせるとき授業プランには、単語指導からはじまって教科書の英文を訳す授業になってしまい、ほかに方法が見つかりません。
●自分たちが受けてきた英語学習が文法訳文式の授業だったので、コミュニケーション力を身につける授業法は難しい、なかなか語学では難しいと感じています。
●私が以前見た東大附属中学校3年の英語では、A4両面に書かれた「環境問題」の英文を短時間に読み合い討論していました。課題解決的な授業でしたね。
●私も中学校の英語を担当していますが、最近単元学習のなかで、「学んだ文法を使ってプレゼンしよう」という課題をゴールに設定すると生徒は意欲的になります。ゴールの設定が難しいのですが、単元で身につけたスキルを使えるようなプランを考えています。最後にどのようにアウトプットできるかという授業計画を年間計画で考える見通しを持ちたいですね。
●僕の授業では、なかなかアウトプットする授業になっていません。はじめからグループにして20〜30分取り組んでいます。だいぶ横道にそれましたね、中川先生お願いします。
◆いいですよ、すてきな聴き合いで授業みたいでたのしいです。ある小学校の1年生の「たぬきの糸車」の授業を拝見しましたが、子どもたちはよく音読をして物語をすべて覚えているんですよ。中には教科書の違うページを開いている子どもが何人もいました。先生は足を運んでていねいに読んでいるページを開き、読んでいる本文を指し示していました。文字が先と思ってしまいますが、幼児などは文字があとです。英語の授業でも、三単現のSについても、指導していない国もあることを聴きました。

〇本日の授業ビデオについて
◆本日二つ目の授業に入りましょう。中学3年生の社会の授業ビデオを見ていただきますが、事前に子どもたちの様子をお話しします。クラスの生徒は非常にまじめです。私の授業は生徒が「え?」といろいろ引っかかって、わからなさを大切にして、「何を言ってもいい」という雰囲気でグループ中心に進めます。授業は徐々に生徒自身ですすめていけるようになってきました。ある教室の9月の授業「国民全体のための政治」と12月の授業「ヤップ島の石貨はお金なの?」を見比べていただきたいと思います。その中で、なかなか授業内容に入っていけない特別の支援が必要な生徒が4名います。その生徒にどんな変化があったかを皆さんと共有したいと思います。

 ― 休 憩 ―

第2部 ビデオ視聴
◆生徒Aは小学校では通級に通っていました。生徒Bは母語も日本語も概念が築けていない。生徒Cは学習性無力感に陥っている。生徒Dは姿勢はいいが同じく学習性無力感に陥っている。12月の授業では、グループ活動の中で変化しています。ご覧ください。
◆これは経済分野の授業です。生徒Cがこの授業から前向きに参加するようになりました。

〇ビデオからの学びを対話・協同探究する 中川先生◆ 参加者●
◆学力が違う生徒が、その学力差を感じさせないほどに自由に違う発言をしはじめました。やはり探究の授業はいいなと思いました。三か月経過すると何かが変わると感じています。まずは、お隣とお話しください。
●「三か月の変化」というキーワードは何だろうね。グループの仲間からの話を聞いていると、友だちからの問いや支援に対して生徒が断れないのではないか。教師と友達が同じ問いを投げたときに、きっと友達からの問いが断れないのではないですかね。
●女の子から例えば厳しく言われても関係性が崩れませんよね。なぜか、支援をしてくれる子は女の子が多いようですね。
◆このグループの構成は、担任の先生の配慮です。日頃から見ている関係性への配慮だと感じます。
●この教室の生徒は、一人ひとりの発言のセンテンスが長いですよね。これは驚きです。
●知識があるから話せるし、素晴らしい生徒たちだと思います。
●先週、拝見した国語の授業において、ある生徒がテキストとは関係ない発言をしてしまいました。それは教科言語が理解できていないのが原因でしょうか、彼は生活言語で友だちの気を引こうとしていたように感じました。
◆この場面を見ると、「グループの仲間の状況を見て子どもたち自身の考えで始めた音読」が鍵だと思います。社会科においてもグループで教科書や資料集を音読して理解しようとしていることが分かります。社会科の教科書を日常的に大切にしてきた「音読」で読み描き、自身の経験や資料集・ニュースなどを媒介に、社会につながったのだと思います。
●私の経験ですが、漢字が書けない小学校6年生の子どもが、9月になって漢字を練習して満点を取ることがありました。その子どもの変化について紹介され、子どもの「わからなさ」には多様な背景があることを学びました。
●生徒Cの生徒が学びに向かうようになった背景には、中川先生から配布された資料の「つまずきの背景を踏まえたアプローチ」にある(学習性無力感に対する自己有用感)(エネルギーが生まれない生徒に対する安全基地)がグループに見られたと感じています。中川先生が意識して進められたのかを訊いてみたい。
◆学校全体が同じビジョンを持って進めています。私も同じ思いで進めているところですかね。
●うまく学ぶことができない生徒に焦点を当てて研究協議をする機会は初めてでした。私にとっては、初めての経験で参加して価値がありました。
◆今日は参加していただきありがとうございました。ぜひ、リフレクションをお願いします。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、特別支援教育を標準装備にということです。本日はありがとうございました。
中川先生と初任者の先生方との対話からのコンセプト、環境構成、授業デザインから、教員としてもっておきたいエキスをたくさん教えていただきました。
特別な支援が必要な子どもはたくさんいますが、その子に特化するのではなく、誰にでも同じように指導していくことが大切だと思いました。また、その環境を教室全体で作っていくことも大切だと思いました。全ての子どもが安心して学べる環境を作ることを大切にしていきたいと思いました。

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2月17日(土)13:30より副島 孝先生によるセミナーを実施しました。

 2月17日(土) 13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
 講師に学び合う学び研究所シニアフェロー副島 孝先生をお招きし、〜授業のための社会的構成主義〜 − なぜ私たちは一斉授業から抜け出せないのか?−をテーマに行いました。

 今回のセミナーには、13名の方の申し込みがあり和気藹々とした雰囲気の中で実施できました。セミナーのスケジュールは以下の通りです。
第1部 今日考えたいこと
〇 自己紹介と今日の話題をテーブルで聴き合う
〇 授業研究会で出会った授業からの学び
〇 大きな影響を受けた3つの実践から
 テーブルでの協議
〇 社会構成主義および関連する理論を学ぶ

− 休 憩 − 

第2部 社会構成主義をどう学んできたのか
〇 テーブルでの協議と共有

 最初に、副島先生より、スーパーバイザーとして訪問されている学校の様子をお話いただきました。その中で「なぜ私たちは一斉授業から抜け出せないのか?」という問いが示されました。
第1部 今日考えたいこと
〇 私自身のテーマへの考え方が変化した
・社会的構成主義を知らないから、いつまでも一斉授業をやっているのだ
・「構成主義を知れば授業が変わる」という考え方自体が、間違いの元なのか
・「なぜ一斉授業が変わらないのか」を考えなければ、授業は変わらない!
・果たして、私たちは授業を変えることができるのか?
上記のテーマに込めた思いとして、教育学者の常識となっている「社会的構成主義」を理解してもらいたいと考えていたが、よく考えると、大学の教育学の授業でも、説明が多く、せいぜいグループ討議やリフレクション・シートでお茶をにごす授業が一般的であるのではないか。
〇 自己紹介と今日考えたいテーマについて各テーブルで聴き合う

〇 授業研究会で出会った授業からの学び
 K小学校3年生の道徳の授業について内容を紹介いただきました。
 資料・板書(登場人物、発問、子どもの発言が見やすく書かれたもの)の映像を確認しながら、子どもの学びの様子を話されました。学び合いのパイロットスクールであるその学校においても「やはり一斉授業になっていた」という印象を語られました。
〇 大きな影響を受けた3つの実践から
□斎藤喜博の「出口論争(ゆさぶり発問)」「そんなところは出口ではない」と斎藤の介入に、子どもたちは自分の正当性を主張し、激しく反論する。斎藤はそれを受け、「同じことばでも解釈は一つだけではない」自分は正しいと言う。自己否定された子どもたちは一時的にしょんぼりするが、真実を求めて必死に考え、様々な角度から議論する授業。
□板倉聖宣の「授業書」〈力と運動〉〈慣性の法則と放物運動〉
〈問題〉 走っている電車の中でビー玉を落とすとどこに落ちるか?
〈予想〉 ア 真下よりうしろ  イ 真下より前  ウ 真下
〈意見・討論〉ある子どもの発言「あの・・・、地球はものすごい速さで動いているから・・・、たとえば、校庭でジャンプしても、またもとの場におりてきます。だから電車の中でも同じだと思います。」という子どもの発想のおもしろさを紹介
□有田和正の「教材開発ネタ論」授業「一寸法師」の授業記録から(『子どもの生きる社会科授業の創造』)
教師 (あらすじの確認の後)一寸法師は都へ何をしに行ったんだろうね」
子ども1…「姫をめとる」ということは「天下をとった」ということだと思います。
子ども2「小さな体」というのは「貧しかった」ということで、 …秀吉じゃないかと思います。
子ども3 「わたしはね、信長とか秀吉とか家康とか、みんなだと思うんですね。一寸法師というのは、武士とかによってつくられたお話じゃなくて、庶民の間でつくられたお話だと思います。信長とか秀吉とか家康とか、そういう立派な人というか、選ばれた人というより、みんなまとめて夢みたいなお話をつくったんだと思います。」
子ども4「 話は変わるけど、なぜ一寸法師というのは京都へ行くのに、ちゃんと地面を行かないで川をのぼって行ったのか?」(笑い)
以上、私が授業づくりで影響を受けてきた代表的な3つの実践を紹介しましたが、今から「優れた授業は昔から子どもが作る授業だったのに、気がつくと一斉授業に陥っていることが多いのはなぜだろうか?」テーブルで話し合ってください。

〇 テーブルでの協議 10分
 
〇 社会的構成主義の「知識観」
従来の学習における「知識」から「深い学び」における「知識」へ転換が必要
・自らの活動から新しく生まれるもの
・学びによって創造し再構成されるもの ・生きて働くもの
〇 きちんと「社会的構成主義」の理論に触れたのは、2009年の柴田ゼミの英語論文講読のとき “Methods in Educational Research”:No Child Left Behind Act(NCLB落ちこぼれゼロ法)2001 後の教育の説明責任運動後の状況の中で、教育研究の方法を書いた書籍から

 
  ― 休 憩 ―

第2部 社会構成主義をどう学んできたのか
〇 佐藤学「学習論の批判ー構成主義とその後ー」(『学びの快楽』世織書房、1999、所収)学び合う学びに生かすヒント
・構成主義学習論の系譜
・構成主義学習論の課題
〇 2つの構成主義
・心理的構成主義
・社会的構成主義
〇 「因果性」で説明される授業
〇 「相互性」の場としての授業
〇 「知識」=「事実」という思い込み 今井むつみ『学びとは何か』 2016 岩波新書
〇 知識観の発達
〇 科学的思考・批判的思考
〇 「学び」に関する5つの考え方 『協働する探究のデザイン』藤原さと,平凡社,2023,p42
〇 人は一つの主義だけで生きているわけではない
〇 真正の学びをデザインする:デザイン思考へのイノベーション「技術的実践」と「文化的社会的実践」

〇 テーブルでの協議と共有
社会的構成主義および関連する理論を(いくつか)学びました。次の点について、話し合ってみましょう!
・納得できる点は何だったでしょうか?
・納得できない点はどこだったでしょうか?
・自分の授業(授業研究)に生かせると感じましたか?
・理論として納得できても、実践(自分の授業)には生かせないと感じましたか?

〇 まとめにかえて −社会的構成主義を知った後の私自身の学び−
・21世紀の教師は、教えの専門家から学びの専門家へ
・授業プランの作成と検証から、学びのデザインとリフレクション
・話し合いではなく、聴き合い。教え合いではなく、学び合い。
・授業研究・実践の中心は全国規模の研究会ではなく、それぞれの教室
〇 「個別最適化」に思うこと
・朝日新聞(2024.1.27土曜be)で、「カスハラをしない」という記事を見た。
 私流にまとめると、「マウントを取る」タイプが多いということ。
・そこで感じた「新聞の一覧性」:ネットでのニュースや記事は、自分がよく見る傾向中心の独自なもの。つまり、他の人が見ているものとは違うもの。
・「個別最適化」は50年前の教育研究の課題だった。
〇 「啓蒙」というキーワード
〇 私が授業を観る視点 −協同的学びにおける探索的会話(exploratory talk)と援助要請(help seeking)−
〇 「『助けて』が言えない 子ども編」日本評論社2023生越照幸より
・本当に助けが必要なのは、実は大人だですね。教師は学校内で学んでいるだけでは十分学ぶことができない。先生方は学校外で困っていることを共有できる場とつながりが大切です。副島先生からの最後のメッセージは「孤立しないで、つながろう!」の言葉で締め括られました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、知識観の転換です。
自分は数学なので、社会的構成主義で他者の意見に触れることで理解を深めていくよりも、正しい論理構成を理解させることに重要性を感じている。数学での学び合いは教え合いになりがちだが、論理の理解や解法への疑問について探索的会話を行わせるとよいとヒントを得た。個別最適な学びは、問題が解けなかったり間違えたりした原因を確認させるように誘導したり、できるようになったら一段難しい問題を与えたりすることや、(代数や幾何などの)それぞれが興味深い分野を深めさせること、と解釈していたが、興味に基づく個別最適と捉えると、インターネットで履歴に基づいて偏ったレコメンドが来ることに近くなるというのは、自分が持っていない発想だった。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、深い学びにおける知識です。
これまで知識というと、決められた語句の意味を理解し覚えておくべきものとか、テストや質問に対し分かりやすく説明できるものと思っていました。よって、きちんと説明できなくては知識とは言えないという概念を持っていました。実際、そういう授業を目指してきたように思います。しかし、お話しの中で、知識は与えられたものではなく、自他との深い学びの中で、新たに生まれるもの、再構成される、生きて働くものということを学びました。そこに、授業の意味があることを改めて気付くことが出来ました。知識をそのように考えると、デザインは「状況との対話」から生まれるとか、今、考えたこと、聴いて考えたことで生まれる「探索的会話」や「援助要請」の意味や大切さがストンと落ちました。教師主導の知識伝達型授業が岩盤のようにある自分にとって、授業をデザインする上で重要な、心がけるべきことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

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2月10日(土)13:30より中川行弘先生による継続講座を実施しました。

 2月10日(土)13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所フェロー中川行弘先生をお招きし、「通常学級における特別の支援が必要な子どもへの教育支援」をテーマに行いました。
 今回のセミナーには、10名の方の申し込みがあり和気藹々とした雰囲気の中で進みました。セミナーのスケジュールは以下の通りです。

第1部 資料をもとに対話・自己紹介
 〇資料:特別の支援が必要な子どもへの教育支援の手がかり
 〇授業ビデオからの学び
  グループ協議
  ― 休 憩 ―
第2部 4月当初の情報・再視聴・変容の要素や背景の協同探究


第1部 資料をもとに対話・自己紹介
〇資料:特別の支援が必要な子どもへの教育支援の手がかり
 配られている資料を手掛かりに、参加された方が自己紹介をし、内容等でわからないことや共有したいことを聴き合いました。

中川先生◆参加者●
◆皆さん、聴いてみたいことや、共有したいところはありますか。
●「私物化しない。分ける指導×」というところがよく分かりません。
◆先生は、どう考えますか。
●自分としては「分ける指導」というのは、特別支援学級などで、子どもが学びやすくするために分けることがあると思いますが、通常学級とのことも含めてのことでしょうか。
◆自分としては、通常学級も含めて、基本的にすべての子どもについて考えています。先生は?
●私も訊いてみたいところでしたので、訊かれると困りますが(笑い)分ける指導?私物化と公共、どうバランスをとるのか?そのあたりが難しいと思います。
●短期目標、長期目標という記載があり、先手を打つとも書いてあり、どう結びつくのでしょうか?
◆私もまだまだ学んでいるところで、自信がないのですが、分ける指導は基本的にインクルーシブ教育の真逆だと考えています。皆さんがお話になったように、多様な学びの場も重要で、ともに実現することはとてもたいへんなことだと思います。〇〇先生がお話になったように、短期的には分けざるをえないこともあるかもしれません。しかし、長期的には、場の工夫やDXなどで、できるだけともに学ぶことができるようになるといいと思っています。仮に自分に何かがあったときに、「あなたはこちら」と仲間からずっと離され、分かれたままだとしたら、ちょっと悲しい気持ちになりますよね。
●私は、インクルーシブ教育については、大学へ入る前に岡野先生の本を読んでいましたが、子どもをラベリングすることや分けることは少し違うと思っていました。実際はどうかを学びたいと思い参加しました。
●教師は何を目標にしているのかが、問題ではないでしょうか。成績の向上を目標として分ける指導があります。教員の姿勢として、効率化をめざして分けるのはどうかなと思います。
●複式学級を行っている日本の学校は少ないようです。しかし、ヨーロッパでは当たり前に行われています。複式学級での学びはよりダイナミックで教育効果が上がっていることを知りましたが、日本における特別支援学級では、学年の違う子どもを同じ教室で分けて学ばせていることが多くあります。あえてグループによる学びにすることで予想外の学びの効果が生まれるのではないか、と感じています。
●特別支援教育で一番足りないことは「つながり」です。子ども同士の支え合いや学び合いはとても大切であるということですね。
●先ほどの複式学級の話ですが、フィンランドの教育はOECDのPISA調査でトップの国ですが、ほぼすべての学校が複式学級で指導しており、教育効果が上がっています。分けない指導というのは、そうしたことかなと聞いておりました。
◆ありがとうございました。今日一番大切にしたいことを話題にしていただきました。学校は公共空間、公教育はすべての子どもの学びを実現する教育、大切にしたいところです。短期目標(今大切にしたいこと)・長期目標(18歳成人をめざして)を公教育として実現できるといいなあと思います。

〇授業ビデオからの学び
 小学校4年生の学級、担任は初任者、教材は国語「一つの花」です。情報なし、先入観なしで、まずはいきなり見ていただきます。

 グループでの感想交流

 ― 休 憩 ―

第2部 4月当初の情報・再視聴・変容の要素や背景の協同探究
 中川先生から、授業ビデオの子どもの4月当初の状況や特性やについて、一人ひとりのエピソードを含めた説明があり、情報をもとに、もう一度ビデオを視聴。

〇ビデオからの学びを共有する中川先生◆参加者●

●授業記録10分10秒の教師の発言の少し前に、9番の子どもが10番の子どもに聴きたいことがあり「ねぇねぇ」と尋ねている場面があります。ここで、教師が立ち止まってあげられるとよかった。特別支援の視点で見たときに、「何行目」といった指示よりも、ICTを活用して考えている文章を視覚化してあげると、子どもにとって学びやすかったのでは。
◆つながれる先生はありますか。
●確かに、視覚化するのはいいな。と思います。お父さんの話に集約することができたのは、音読にもどしていたからかなと感じます。
●どうしても、1番の子どもが気になります。途中、ノートを書いたり消したりを繰り返している。終盤、1番の子が2番の子に何かをアプローチしています。あれは、なんだろう?
◆1番の子は、外国ルーツの子どもです。この日初めて、教科書を開き、読みはじめました。記念日ビデオです。
●1番の子は、日本語での会話はできますか。
◆日常会派程度はできますが、学習に対する意欲が乏しい子どもです。絵を描くことは得意です。
●生活言語は大丈夫なのですね。学習言語が身についていないのでしょうか?
◆学習言語については十分とはいえないと思います。この日に音読ができたのは、どうしてか。他の先生方の話題にもなっていました。これまで、教科書を読むこともしていなかった。
●この先生が、安心できる教師であるとの認識が生まれたのではないでしょうか。しかし、25番の子どもは、なかなか関わっていません。しかし、最後の音読で、彼は一番早く教科書を置いていました。読解スピードが速く、理解のはやい子どもではないかなと見ました。
●この教室の座席は、意図的なのかな?ということが気になりました。
◆6月の授業ですが、一人一人の子どもがいい感じでつながり、「私たちの教室」ってなった感じがしました。他の3人の初任者の先生方の教室もほぼ同じ時期でした。このような「ベッチョリ隊形」に座席をした効果もあると思います。意図的です。
●なぜ、この先生は、ずっと座って授業をしているのか。なぜ、子どもの方へ寄っていかないのか?疑問です。
●机間指導をしないのはどうかと思いました。
●4年生で支援の必要な子どもが多いこの教室だから、あえて密集した座席にしたのでしょう。25番の子どもの発言に対する教師の対応が物語っているように聴き方をよく指導しています。さらに「今の場面はどう?」と共同注視・共同注意できるような配慮があります。子どもたちの発言がつながっていくことで、父親との別れの場面を深く読み深める授業になっていました。
◆25番の子どもはいつも、前にいたのですが、最近後ろにいきました。この子はおっしゃるように理解のはやい子どもです。

〇まとめとして中川先生より5点にわたり確認がありました。
1  共同注視について。学びの一番のベースとなります。同じテキストを見ながら音読をしたり、同じ部分や場面をみたりすることが大切です。さらに共同注意(意図の共有)にも発展させ、安心感のある学びにつながることができていたのだと思います。
2  座席について。特別の支援が必要な子どもは教師との距離と特別のケアが大切。密接距離で先生とつながらないと子ども同士でつながることができない。意図的に座席を考えていく必要があります。
3  援助要請とケア、探索的会話について。先生が援助要請に温かいケアをし、探索的会話もしています。相似形で、子ども同士でも援助要請とケア、探索的会話が成立しているのだと思います。
4  仲間や先生、道具の力を借りて、共有の学びを足場に、高い課題に探究・挑戦ということについて。授業ビデオでは女の先生が映っていました。「短時間ライブ授業研究」と呼んでいますが、通常の授業において短時間で授業を互いに見合ってライブで研究をするなど、同僚性が育っています。この効果はかなり大きいと思います。
5 「わからない、教えて」の日常、発達支持的生徒指導について。生徒指導提要に書かれていますが、プロアクティブとして、この日常が、いじめ対策、不登校対策、自殺対策になっているのではないかと思います。「学び合う学び」の中核、この日常とこの価値をもっともっと広めていきたいと思います。という言葉で、結ばれました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、つながりを大切にすることです。
本日はありがとうございました。ビデオを通して、子どもたちの様々な姿を見ることができ、いろいろなことを考えさせられました。
特別な支援が必要は子が、教室の中で教師や同級生とつながりをもつことで安心することが分かりました。そのような環境を作っていくことの必要性を感じ、つながりをもつ活動や言葉にする活動を大切にしていきたいと思いました。今後の学校生活に生かしたいと思います。

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1月20日(土)13:30より後藤孝文先生によるセミナーを実施しました。

 1月20日(土) 13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所フェロー 後藤孝文先生をお招きし、(学び合う学びをヒドゥン・カリキュラムの視点で深める)をテーマに行いました。

 今回のセミナーには、17名の方の申し込みがあり和気藹々とした雰囲気の中で実施できました。セミナーのスケジュールは以下の通りです。
第1部 ヒドゥン(隠れた)カリキュラムとは
 〇 前回のおさらい
 〇 ヒドゥン(隠れた)カリキュラムを深堀する
(1) ジェンダーの視点で
(2) 授業づくりの視点で
  ― 休 憩 ―
第2部 (学び合う学び)にどう生かすか
 〇 学び合う学びに生かすヒント
 〇 教師のまなざしとは
 〇 学び合う学びと隠れたカリキュラム
 〇 授業ビデオを見る
 〇 授業を隠れたカリキュラムの視点で
 〇 学び合う学びにどう生かすか

 最初に、参加された方の自己紹介をかねて、ヒドゥン(隠れた)カリキュラムについて知っていることを共有しました。後藤先生からは、現職時代の忘れられない生徒との思い出を語り、教師の無意識な指導が学級での雰囲気を作り出していたことをお話いただきしました。

第1部 ヒドゥン(隠れた)カリキュラムとは
〇 前回のおさらいとして
 隠れたカリキュラムについて、フィリップ・ジャクソンの提唱、加藤明による表現、学習指導要領、京都大の田中耕治の定義が紹介されました。
 続いて2種類の画像を提示し、そこから読み取れる隠れたカリキュラムについて参加者と一緒に読み取りました。さらに、後藤先生が教えている大学生が今までに経験した隠れたカリキュラムについて具体的に紹介がありました。示された隠れたカリキュラムをよく見ると、(マイナスの影響)と(プラスの影響)が存在することを確認されました
 
〇 ヒドゥン(隠れた)カリキュラムを深堀する
(1) ジェンダーの視点
教室における男性優位の現実
中学校教員の男女比のグラフデータを読む
学校段階ごとの男女教員の割合データを見る
・改善しつつある男性優位、管理職はさらに顕著になっている
中学校免許教科別所有者についてグラフデータを見ながら
・男性:社会、数学、理科 女性:国語、英語、音楽 が多くなっている
・IEA(国際教育到達度評価学会)による調査では、数学、理科において男女の優位性は認められない。
➡ 男性は理系、女性は文系が得意という思い込みが先行
・大学入試(女子枠)の違和感
➡ 科目による向き不向き、誤った進路選択を助長していないか。

(2) 授業づくりの視点で
ア 教師の発言(発問)の多くは、評価を伴っている。ミーハン(Mehan.H1979年)
  IREパターンの存在 (Initiative : 発問)- (Reply:反応) - (Evaluation:評価)
イ 教室の中の隠れたカリキュラム
 ある教室で交わされる教師と子どものやり取りが示されました。教師の発問に対して、複数の子どもが発言をする。教師の扱いは、ある子どもの発言だけを板書する。こうしたやり取りから、子どもたちはどんな経験をしているのかについて参加者と一緒に考えました。
 ・応答には、板書されるものと板書されないものがあることを経験する。
 ・教師の求めるものを見事に発言できれば、板書されるというご褒美がもらえる。
 ・教師の求めるものを発言できなかった者は、後味の悪さを経験し学ぶ。
 ➡ 思いもよらないこの学びこそ、隠れたカリキュラムである。
ウ 子どもたちが経験する隠れたカリキュラム
 1⃣ 集団の一員として我慢することを学ぶ 
 2⃣ 仲間から自分への評価に対処する方法を学ぶ
 3⃣ 教師に適応し、対処する方法を学ぶ
 ➡ 学級生活に適応する力を学ぶ
 ➡ 社会生活に必要な技能や対人関係能力を身につける
 ・退屈な授業に耐える忍耐力
 ・場の持っている空気を察する力
 ・生きる力?
 ※ 不登校は隠れたカリキュラムへの不適応が一因か?
エ 日本の授業の特徴・日米比較(恒吉僚子1992)
 ・目に見えにくい決まり  ・集団主義の察し合い  ・同調に迫る無言の圧力
 ・自己主張を阻害する空気 ・教師の(みんな)という常套句
 ・男子、女子のカテゴリーの強さ
 ➡ 日本の教室では、集団指導を基本とした関係性が支配的
オ 同調にのっとった「一斉共同体主義」(恒吉)
 ・皆が同時に同じことをするという一斉体制で成り立つ(規格化)(画一化)
 ・授業のはじめ、終わりの号令、発言の仕方
 ・給食の配膳、掃除の仕方  ・授業スタイル(○〇スタンダード)
カ 家庭生活にも及ぶ指導
 ・家庭での生活習慣(宿題・食事・睡眠・・・)
 ・放課後、休日の過ごし方(習い事、交友関係・・・)
 ➡ 教師との密接な人間関係がつくられる
キ 個人よりも集団の一員として位置づける傾向
 ・みんな一緒 = 同質
 ・早くわかること、同調できることはよいこという価値観
 ➡ 教師によって繰り返し伝えられ、知らず知らずのうちに身につけている
ク イヴァン・イリッチの学校批判(オーストリア:著書(脱学校の社会)1971)
 ・学校制度や隠れたカリキュラムは、(忠実な従業員)へと社会化していく機能に他ならない。
 ➡ 自ら学ぶ力や抵抗する力を失い、無能化させる。
隠れたカリキュラムの機能と注意点
〇 教師にとって、子どもたちをまとめ、秩序を維持し、授業を計画どおりにすすめる上で、(暗黙の了解)である隠れたカリキュラムは必要不可欠。
〇 一方でIREパターンの繰り返しによる教師主導型の授業や同調、画一的などの一斉主義が岩盤のように支配している。
▽ 一斉指導に適応しづらい子、気疲れやストレスを感じる子
▽ 隠れたカリキュラムにうまく適応できない子
 ➡ 不登校の原因との関係性を探るべき
▼ マイナスの機能を自覚することが必要
▽ 子どもにとって、どんな学びの経験になっているのか、子どもの立場で常に省察する必要がある。➡ ビデオによる客観視、授業研究による学びの事実の確認
■ 「分からなさ」や個性の尊重、創造的な表現活動、探究活動に意図的に改変していく必要がある。
■ 学び合う学びは、教師主導・一斉主義の岩盤を崩す取り組み!
 ➡ 隠れたカリキュラムを授業や学習環境の改善に生かす

  ― 休 憩 ―

第2部 「学び合う学び」にどう生かすか
〇 学び合う学びに生かすヒント
 ・キーワードは「まなざし」
<仮説>教師が子どもにかけるまなざしが温かいものであれば、良き授業を生み出す隠れたカリキュラムとなる。
〇 教師のまなざしとは
 ・教師がこれまで生きてきた経験値、教育知が基になっている
 ・教師自身の人格・人間性が表れる ・こうしたいという意図や教育観が生む
 ・石井順治先生著「学び合う学び」を生きる より5つのまなざしの紹介
〇 学び合う学びと隠れたカリキュラム
 ・マーティン(Martin1976)の考えた隠れたカリキュラムの紹介
● 授業ビデオを隠れたカリキュラムの視点で見る
 ・中1年英語 ・中2年社会 ・中3年数学 ・中3年英語
※ 視聴後、各グループで感想交流 ➡ 全体交流:◇参加者 ◆後藤先生
◇ 小学校の教員ですが、中学校の授業を始めてみました。生徒の話し合っている姿がすばらしい。お互いに顔を見合っている姿はなかなか生まれない。
◇ 子どもたちのまなざしが温かい。社会は、タブレットをみながら対話が探索的である。教師のまなざしが温かいからだとうか。
◇ 中学校の英語のレベルが高い。しゃべれない生徒が置き去りになっているのでは。すべてが英語でする授業が高校ではできていないので、感心した。
◇ どの教室も穏やかで、いい関係性がある。普段からの関係性ができている。
◇ 今、見た生徒たちは小学校のころ大変な状況だった。よく育ってくれました。
◆ この学校は、小学校から9年間同一メンバーの学校である。
  授業研究会を小中合同で年6回実施している
 この学校には「学び合う文化」が生まれている。生徒同士の隠れたカリキュラムが作用しているのだろう。
 教師は毎年異動がある。しかし、生徒は同一メンバーで変わらない。
➡ 崩れない「何か」がある。➡「何か」は隠れたカリキュラムであろう。
生徒同士のまなざしが、プラスの隠れたカリキュラムになっている。
先生方の温かいまなざしが基になっている。
〇 学び合う学びにどう生かすか(まとめ)
● 教師が意図してもしなくても、そのまなざしは隠れたカリキュラムとなって、子どもたちに大きな影響を及ぼす。
● どんな指導にも何らかの隠れたカリキュラムが機能していることを常に意識して、子どもの立場で省察することが大事。
● すべての子どもへの温かいまなざしが「学び合う学び」の確かな授業をつくる。そして、それは、やがて「文化」となる。

マエストロ後藤からおまけとして
「オーケストラと指揮者に学ぶ」という楽しい時間までご準備いただきました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆ 今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、IREパターン、教師の発言は評価を伴う、発問→発言→発言の評価ということです。
1⃣我慢を学ぶ 2⃣友達からの評価への対処を学ぶ 3⃣教師への適応を学ぶ
 社会生活に必要な技能や方法(ヒドゥン・カリキュラム)新しい視点でした。昨年度、不登校児童への声掛けで悩んでいたので、掛ける言葉の幅が広げられそうだと思いました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、マイナス面の自覚です。
教師は、人間性も含めて教師だということを、改めて教えていただいたセミナーでした。特に、ヒドゥン・カリキュラムにおける「マイナス面の自覚」は、大切なキーワードだと思いました。自覚するからこそ、プラス面も見えてきます。授業においては、そのプラス面を意識して、教室環境(雰囲気)を意図的に作る努力も必要ですね。
 日本に訪れた外国の方は、日本人の民度がうらやましいとよく言います。例えば、道路にごみがほとんど落ちていない事実を目にすると、自分もごみが捨てられなくなるそうです。まさに、教室環境のお話とつながる部分だと思いました。今日のセミナーを聴いていって、日常生活に隠れている暗黙の了解が、国民性にもつながっているのだと思いました。学びの多いセミナーでした。ありがとうございました。

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12月9日(土)13:30より畠山大二郎先生によるセミナーを実施しました。

 12月9日(土) 13:30〜15:30に201教室において実施しました。
 講師に愛知文教大学准教授 畠山大二郎先生をお招きし、教科書の中の平安文化を捉え直す〜古文 絵巻 装束〜 をテーマに行いました。

 今回のセミナーには、中・高等学校の先生方、研究者、学生と多様な立場の方が集い実施できました。

第1部 古文を読み直す
 〇 「枕草子」初段「春はあけぼの」を読み直す
  ― 休 憩 ―
第2部 古文と絵巻
 〇 絵巻物の読み方
 〇 「竹取物語絵巻」
第3部 古文と装束
 〇 装束に触れる

 最初に、参加された方の自己紹介からはじまり、畠山先生の自己紹介をお聞きしました。畠山先生には、貴重なコレクションをお持ちいただいた、実際に手に取らせてもらうことができました。枕草子の写本や絵巻物の複製、さらに実際に羽織らせていただいた装束のコレクション、今では近世の着物にも手を出しているとのことで、いまだに貯金というものを手にしたことがないとお話に、会場が沸きました。(笑い)今日は、下記の3点について文化的に読み直していきましょうということでスタートです。

第1部 古文を読み直す
〇 「枕草子」初段「春はあけぼの」を読み直す
 冒頭の、解釈には現代でも論議が続いているとのことです。そこで、国文学研究資料館蔵(能因本)を音読された後に、翻字(現代語に訳したもの)を見せていただき、その比較を指摘してもらいました。写本による誤写(意図的変換)がおきていたり、一行欠落している部分があったり、この場合は誤写ではなく改変が起きていることに気づくことができました。
 原典と教科書の古文を比較してみると、冬は(つとめて:欠落)雪のふりたる・・・・など大変多くの改変が起きていることがわかります。
 写本には三巻本、能因本、堺本、前田家本の四系統があるなど実に多様であることを教えていただきました。それぞれの表記が揺れ動き違っている。清少納言が著したものに一番近いのが、三巻本ではないかとされており、教科書に使われているそうです。一番古く写本されたのは、前田家本であり、実に読みやすい。その読みやすさがおかしいのではないかとの解釈があり、書写する人が、新しいものを造ってきたのではないかと言われています。
 三巻本が教科書に採用されたが、校訂本文は、原典から1⃣濁点半濁点をつける。2⃣反復記号を変換する。3⃣漢字変換を行う。4⃣句読点をつける。などの改変を行っています。

<句読点1> 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
<句読点2> 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる、雲のほそくたなびきたる。

〇 上記の二文を比較して句読点の位置による違いは何か?をテーブルごとに聴き合いました。しばらく、聴き合った後に全体共有をしました。

●畠山先生のコメント □参加者のコメント
□ 疑問があるのですが、句読点や読点について、我々が行っている授業分析では千分の1秒止まれば句読点、数秒止まれば読点。また、文章の意味から読点をつけたのか。など、どういう基準があるのでしょうか。リズムによって違ってきますよね。
● 当時も音読して鑑賞していました。「なむ」は一旦止まるところにはいる。「たる」は、続くのか続かないのか、言葉の意味の解釈で違ってきます。今回は、私が勝手に打ってみました。それでは、各テーブルの読みを聴いてみたいと思います。
□ 句読点1は、だんだんが全体にかかり、白くが山ぎはにかかかる。紫だちたる雲が細くたなびいている。句読点2は、だんだんが白くにかかる。すこしあかりてが山ぎはにかかる。と読みました。
□ 句読点1は、前のテーブルと一緒です。句読点2のだんだん白く、紫だちたるは独立している。など、句読点2に関する解釈にはテーブルごとに多様性がみられました。
● みなさんの読みをお聞きすると、句読点1がだいたい定まっていますね。ということは、こちらが多く使われいる理由になりますね。「すこしあかりて」の「あかりて」がひらがなになっています。わざわざ「ひらがな」にしているところがあります。漢字にすると「赤」は色彩「明」は状況が考えられますが、説明しきらない「掛詞的な表現」になっているのです。
□ 少しわかりにくいのは、句読点1は絵に表現できるように思います。句読点2は動画的な状況が浮かびます。こうしたことを文学では問題にしないのですか。
● 時間の経過は大切で、平安のころには、こういう表現を「うつろふ」=(移、変化する)といいます。変化する様をどうするかということから絵巻物の表現がうまれました。古今和歌集は四季を扱い時系列に和歌をまとめております。また、恋の表現にも変化する想いを詠んでいます。

  ― 休 憩 ―

第2部 古文と絵巻
〇 絵巻物の読み方
 美術館では、絵巻物を広げて横に長く展示をすることが多いですが、あれは展示会ならではの見せ方です。本来、鑑賞者は肩幅に絵巻物を広げて鑑賞するため、右から左へ画面が登場してくることになり、画面の動きが、空間的・時間的展開を生み出します。
 畠山先生が実際の絵巻物を手に取り説明され、各テーブルでも実物を巻き取りながら手に取る貴重な経験をすることができました。
 画像では、紫式部絵巻の場面を読み取っていきました。この人物は酔っ払っていますよね。ということは宴会をしている情景だと読み取れます。視点の移動にコマ割をつけると漫画になりますね。伴大納言絵巻の一場面を拝見し、ケンカしている子供に割って入った大人がおり、次の場面では相手の子どもを蹴飛ばしている。同じ場面に異なった時間が右から左に描かれる文法を「異時同図法」と呼んでいます。その他に「引目鉤鼻」「吹抜屋台」「逆遠近法」源氏物語絵巻では、奥に座る帝の姿を大きく描き、奥に行くに従い広がって表現する逆遠近法がつかわれています。これを絵巻物の文法と呼んでいます。
〇 「竹取物語絵巻」
 いろいろな絵巻が描かれています。かぐや姫の昇天の場面について、立教大図書館蔵本では、かぐや姫の邸内を中心に描いていますが、国学院図書館蔵本では、武者たちがかぐや姫を月に戻さないため阻止する武者が描かれている。比較すると、大きな違いがあります。
 現在では、Colbase(国立博物館の画像データベース)では画像を公開しています。ぜひご覧くださいと紹介されました。

第3部 古文と装束
〇 装束に触れる
 装束とは、衣服・装身具の集合体や、宮殿内部の室礼(しつらい)、武具や馬具の装置など、幅広いものを指す言葉です。
 こうした装束たちは、有職故実によって細かな規定が存在していることを紹介していただきました。持参された装束を参加者を代表した女性がモデルになり、かさね着を実際に体験することができ、美しい姫が誕生しました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、改変です。
今回のセミナーでは、面白いと感じたことや新しく知れたことがたくさんありました。
教科書と能因本を比較して見た時に、表現の仕方が違っていたり、一行抜けていたりなど今まで読んできたものとは違う部分が多くありとても驚きました。またこのことが、誤写ではなく改変されたということも知ることができました。句読点の違いでは、教科書の方が意味定義がしやすく1つに決まり、他の例では様々な意見が出たことから教科書の方は教えやすさや分かりやすさがあり学校向きだなと思いました。全体的にとても興味深く楽しかったです。また、たくさんの刺激をもらい、新しいことを多く知ることができました。ありがとうございます。
◆中学校2年国語の「春のあけぼの」の授業を見たことがありますが、生徒達は言葉を手がかりに、句読点のあるなしを頼りに、何とかして情景を思い浮かべようと頑張っていた姿を思い出しました。その生徒達と同じ立場で、一生懸命読み直すことができたのはよかったです。ところが、そのもととなる本が何種類もあるとは思いもしなかったことで、実におもしろく興味深かったです。確かにコピーのない時代、よかれと思って書いた変更が後々大きな違いを生むというのはあり得る話しで、教科書はたくさんの本の中で、最もブレが少ないものというのは、なるほどと思いました。また、絵巻は静止画しかない時代に少しでも動画的な要素を加えたもので、最大の工夫であると思いました。装束についても、本物を目の当たりにし、歴史的な背景やその時代の工夫を知ることができて、それぞれの「深さ」を感じとることができました。今後に生かすことができそうです。ありがとうございました。

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第4回 学び合う学び研究所フェロー会議を開催しました。

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2023年12月9日(土)12:00より、愛知文教大学 会議室において、学び合う学び研究所フェロー会議を行いました。参加者は以下のとおりです。
シニアフェロー: 的場正美、副島 孝(柴田好章:公務のため欠席)
フ ェ ロ ー: 倉知雪春、後藤孝文、神戸和敏、木村芳博、栗木智美、林 文通(中川行弘、松村美奈、竹中 烈、内田吉哉:公務のため欠席)
事 務 局  :中島淑子所長、永井勝彦事務長

1.所長あいさつ
2.議 事 
 1⃣2023年度活動実績報告について
 2⃣2024年度活動計画について
 3⃣活動への意見交流、
 4⃣その他
  科研費・研究紀要発行について
 以上、ご意見をいただき、承認されました。
5.その他
  連絡事項

フェロー紹介

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所長・事務長

フェロー紹介

シニアフェロー
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フェロー紹介

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フェロー

フェロー紹介

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フェロー

フェロー紹介

フェロー
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フェロー紹介

フェロー
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第12回 3月セミナーのご案内

2024年3月16日(土) 13:30〜15:30
会 場  愛知文教大学 201教室  
〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3
テーマ 「学びを楽しむ授業づくり・学校づくり2」
講 師 学び合う学び研究所フェロー 林 文通先生 
申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定3月予定GOOGLE フォームまたは、ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf3jWU...
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第11回 2月セミナーのご案内

2024年2月17日(土) 13:30〜15:30
会 場  愛知文教大学 201教室  
〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3
テーマ 「知識はどう伝わるのか?-授業のための社会構成主義-」
講 師 学び合う学び研究所シニアフェロー 副島 孝先生 
申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定3月予定GOOGLE フォームまたは、
ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfol3c...

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第4回 継続講座4を開催します。

2024年2月10日(土)13:30〜15:30
2024年3月9日(土)13:30〜15:30
会 場  愛知文教大学 201教室 
〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3
テーマ「通常学級における特別の支援が必要な子どもへの教育支援」
講 師 学び合う学び研究所フェロー 中川 行弘 先生
申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定2月・3月予定GOOGLE フォームまたは、ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSebhi7...

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第10回 1月セミナーのご案内

2024年1月20日(土) 13:30〜15:30
会 場  愛知文教大学 201教室  
〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3
テーマ 「学び合う学びをヒドゥン・カリキュラムの視点で深める」
講 師 学び合う学び研究所フェロー 後藤 孝文先生 
申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定1月予定GOOGLE フォームまたは、
ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdhxpg...

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11月18日(土)13:30より栗木智美先生によるセミナーを実施しました。

 11月18日(土) 13:30〜15:30に、403教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所フェロー栗木智美先生をお招きし、「主体的・対話 的で深い学び」の実現に向けての第一歩を 〜学びの作法と教材研究の体験を通して一緒に考えましょう〜 をテーマに行いました。

 今日は、市内外の多くの小学校で運動会や学習発表会が実施された午後に、小中の先生方、研究者、学生と多様な立場の方が集いセミナーを行うことができました。

本日のスケジュールは下記の流れです。
第1部 学びの作法
 1 体験
 2 振り返り
  ― 休 憩 ―
第2部 教材研究と授業
 1 短歌の教材研究
 2 授業動画から考える

第1部 学びの作法
1 体験   ●栗木先生のコメント
 谷川俊太郎の詩「自己紹介」を読み味わい、それを受けて参加者が考えた自己紹介詩をグループで聴き合いました。
 1部では、学びの作法(マナー)について考えました。ルールではありません、作法・マナーです。そのことを考えるために、小学5年生が学ぶ「面積」のジャンプ問題に挑戦しました。√が使えない小学生がどのように考えていくか?かなり難しい課題です。グループで聴き合いますが、考える糸口が見つかりません。
● 「答えを出そうとして、体験してもらったわけではありません。今のグループで起きていた状況を客観的に見つめてください」といって、学びの様子をチェックする項目が示されました。
 〇四人で時間を平等に使えるように配慮しましたか?
 〇わからない、教えてと言えましたか?
 〇聞かれたら、答えを教えずに一緒に考えられましたか?
 〇仲間の考えを尊重し、自分と比べながら聴けましたか?
 〇仲間からすすんで考えをきき、学ぼうとしましたか?
 〇他の仲間を気遣い、声をかけられましたか?
 〇個のペースを大切にしましたか?
 〇一つの方法や考えで満足せず、さらに考えようとしましたか?
 栗木先生が今まで教室で生徒に示してきた「学びのマナー」の紹介があり、現在、栗木先生が教えてみえる中学校の2年生の二クラスの生徒が自分たちで作り上げた学びのマナーの紹介がりました。

2 振り返り  ●栗木先生のコメント □参加者のコメント
 ここまでの学びをグループで振り返る。数分のリフレクション後に全体で共有しました。
● 何か分からないことや気づきはありますか?
□ 誰一人も落とさないといいますよね。発達障害や支援が必要な子ども、学国にルーツのある子どもがいます。どういう手立てをしたらいいか、栗木先生はどうしていますか?
□ 指示をしたらどうするかを感じています。自分のクラスには、なかなかコミュニケーションが取れない発言もできず、よく絵に表現する子どもがいます。ですから、一人の世界に入ってしまう子供です。同じグループの子どもに、どう思うとか、言葉をかけてくれるように促しています。
● それを聴かれてどうですか?
□ ごめんなさい、他ごとを考えていました。(笑い)誰も独りにしないというのは難しく。外国籍を自分たちの仲間として引き受けることは子どもには大変難しい。学びのマナーをクラスで作ったが、やっている先生とそうでない先生がいるが、生徒は結構使い分けている。学校全体で共通するマナーはなかなか実現できないのが現実ですね。
● それを聴いてどうですか。
□ 生徒は先生ごとに、いろいろ使い分かるというのは、当然だと思いますね。学校全体としてどうあるべきかを考えることは大切にしていきたい。栗木先生のすごさは、子どもたちに話合わせてマナーを作りやっていること、最終的に学ぶのは生徒なのでいいことである。
□ 中学校でやっていると、生徒が作った「嫌なことはどんなこと」がいいなと思いました。小学校ではどんな様子ですか。
□ 小学校でも、子どもたちがうまくやっている。場によって臨機応変ですね。
● 本校は小中連携をしており、小学校の授業も見せて頂く機会があります。彼らが六年生の時も参観しました。その時の学びが素晴らしく、とてもよい学びの文化を築いていると思いました。よく、中学校と小学校は違うと言われます。でも、私はちょっと違い、彼らが築いてきた素敵な文化は中学校でも引き継ぐことが中学校の責務だと考えます。
入学してきた生徒へは「みんなの六年の時の授業を見せてもらって感動したよ。素晴らしい学びを身に付けてきたね。それはみんなの宝物だよ。」中学校ではさらに伸ばしていこうね。と言いっています。
□ 見せていただいたマナーは、一年間をかけて日々更新していくものですか?
● ルールでないというのはそのことですね。できないこともあるがマナーですから日々できるようになっていく。
● 最初の質問に戻りますが、支援の必要な子どもには、他の子どもからの支援につないでいます。心配だなと思う子どもには特にしています。しかし、その時々の子どもの様子によります。
□ 一年の最初、授業開きでマナーをつくられるが、栗木先生の最初の言葉かけはどんなことですか。
● 覚えがない。今年は、最初に何をやるかわかる?と子どもに呼びかけたら、生徒の方からマナーが出てきた。そこで、嫌なことややりたいこと何?と問いかけました。
1年生には、みんなが小学校でやってきた学びあいを教えて。こんなことが嬉しかったよ、とか逆にこういうのは嫌だなと思っていたとか、そこから、この一年の学びのマナーを作っていこうか。と話していたことを思い出します。

  ― 休 憩 ―

第2部 教材研究と授業
1 短歌の教材研究
 教材とは、教師が教える材だから、これからは、子どもが学ぶために学習材ではないか?
 最初に、学習指導要領ではどのように表現されているかを確認し、扱う学習材をいかに研究していくか、単元観には何を書くのかを説明されました。
栗木流の文学教材を図で示しながら話されました。
 〇 一個人としての視点(作品への愛情・価値)を見つけるため何度も読む
 〇 学習者としての視点(学習者としての戸惑い・躓き・発見)想像してみる
 〇 指導者としての視点 指導する方法を考えてみる
 参加者二人が音読をしてから、
以上の3視点を使い、与謝野晶子の歌「なにとなく君に待たるるここちして 出でし花野の夕月夜かな」をグループで研究しましょう。

グループ活動(教材研究)

2 授業動画から考える
 栗木先生の教材研究を明かさず、いきなり実際の授業動画を視聴し、発話記録をもとに生徒がどのように学びをすすめたかを読み解きました。

  ●:栗木先生のコメント □:参加者のコメント
● ご覧になった生徒の姿から感じられたことをグループで共有してください。
いかがですか。
□ 教師の読み方と違う生徒の読みに対して、自分だとなかなか勇気が出ないのですが、他の生徒へ「今の読みに寄添って」と発問できるのはすごいなと感じました。
● 君が弟との読みが出ることは予想ができていたが、晶子が鉄幹に出会う前の歌なので、読みに戻せば、違う読みが出るだろうという見込みはありました。私は君が鉄幹だろうと思っていました。「君に待たるる」は受身形なのですが、生徒からはなかなか出ませんでしたが、まあいいか。と正しい読みを期待していたわけではなく、あきらめて、生徒に委ねていました。
□ 授業記録の42:40の発言に「君が待っている気がする」がありましたが、そこまで栗木先生が待って見えたことで、教室の空気が変わった。素晴らしさを感じました。
● この生徒は、担任も気にかけていた生徒で涙腺が厚くなる思いでした。
□ 他の授業でも、何度も読みに戻るということで、新しい気づきが生まれている。人の読みを聴いてもう一度読みに戻すことは意味のあることだと感じ、新しいものが生まれることに感じ入りました。
● 教材研究したことが生徒の読みから出てこなくてもいいと感じている。生徒がこの歌を旅してくれたのかを大切にしている。毎回の教材研究はこんな感じですと、資料を見せていただくことができました。ある生徒が「外がただのコンクリートのところだったとしても、恋をしている気持ちで外へ出たら、どんな景色でもバラ色だよ」ということを言ってくれ、その時「はぁ」と感動しました。と話され「授業をするたびに、生徒の読みは教師を超えてくれます」と締めくくられました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、教材研究の仕方です。
栗木先生ありがとうございました。国語の教員でもない私ですが、教材研究の仕方はとても参考になりました。素材と生徒と指導の3つをその時の生徒に合わせて組み立てること、これは指導案を作るときは、記述するので意識しますが、指導案を作らなくても意識することだと改めて思いました。その中に生徒が入ってくるからこそ、同じ単元でも授業の仕方は変わって当たり前だと思いました。どのような生徒を育てたいかを意識し、また、それをマナーという形で生徒と共有することで生徒とともに授業を作り上げることができると思いました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、学びのマナーは、子どもたち自身でつくりあげることが最も大切なことだとあらためて感じました。
詩を何度も読ませることで、子どもたちが色々なことに気づいていき、共有しながら詩を味わっていけることがよくわかりました。また、自分の授業では何度も読ませたり、話し合わせたりするなど、こちらがさせてしまっている場面が多いような気がしたので、子どもたちが主体的に教材や仲間と対話できる授業を考えていきたいと思いました。

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10月28日(土)13:30より佐藤良太先生によるセミナーを実施しました。

 10月28日(土) 13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
講師に愛知文教大学の准教授 佐藤良太先生をお招きし、夏目漱石「坊っちゃん」―明治の教育雑誌から読む〈学校〉― をテーマに行いました。

 今回のセミナーには、本学卒業生で県立高等学校の教師をしている方や現役学生、中高の先生方、研究者など多様な立場の参加者により学び合いました。

第1部 佐藤先生の研究より講義(明治教育メディアとの連動性)
□ 夏目漱石<坊ちゃん>について
□ <学校騒動>という背景
□ <大衆性>の基底
  ― 休 憩 ―
第2部 講義に対する学び合い
□ 参加者からの質問
□ <不徳教師>の存在と<煽動>
□ 佐藤先生からの追加コメント

第1部 
□ 夏目漱石<坊ちゃん>について
 本セミナーの滑り出しは、そもそも、「坊ちゃん」文中には「松山」の記載が一切ない。ところが、松山には「坊ちゃん電車が走り、坊ちゃん団子」がある???
資料:夏目漱石「坊ちゃん」直筆原稿には「中国辺のある中学校」の記述があり、その「中国」を「四国」に書き改めている。漱石は実際に松山中学校に務めているが、時代の文脈を反映し、地方の教育現場を活写している。

□ <学校騒動>という背景
 漱石は、明治とともに生きてきた。漱石は小説「坊ちゃん」を、学校の務めから帰り、400字原稿用紙に換算して215枚を一週間程度で書き上げた。この小説は、時代によってその想定が変遷している。2016年には映画化されはじめている。
 江藤淳は「坊ちゃん」解説=勧善懲悪の伝統と復活としての構造を紹介した。
 この小説のタイトルをなぜ「坊ちゃん」としたのか?
作中、「坊ちゃん」と語ったのは二人である。まず吉川(野だいこ)で「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」と語らせている。また、清(封建時代の下女のような老婆)に「あなたは正直でよいご気性だ、だから坊ちゃんだ」と語らせている。義理とか人情とか正直とかの倫理観が大事なものである。このことから、「法律にふれなければ道理などどうでもいい」といった時代に対する強烈なアンチテーゼとしてタイトルの意味があり、時代に問うた作品として読める。
 当時広汎に受容された「坊ちゃん」が<学校騒動>の文脈で受容される回路を提示
 資料:明治の教育事情(明治8年から30年間には学校数、教員数、生徒数が急増)により、教育専門の新聞・雑誌メディアの成長、資料:「太陽」(当時の総合雑誌)には、学校騒動の記載がある。当時の学校建築は、監獄(一望監視装置)を模しており、教壇があり鞭をもって教鞭にあたっていた。学校寄宿舎では学生が暴れていた。<学校騒動>の基底には、教員と生徒のディスコミュニケーションがあり、生徒は教員の品位を攻撃。教育を施す側の品行が指弾されていた。小説坊ちゃんにおける赤シャツの言辞に投影されている。
 明治20年〜30年代の学校騒動は年間76件(明治31年集計)五日に一回、大量(100名)の退校・(80名)停学の大規模な処分があった。

□ <大衆性>の基底
 「坊ちゃん」におけて展開されて教師と生徒の対立は、単なる面白い話ではなく、十数年にわたって全国各地で頻発していた「学校騒動」に回収される。
 今まで、江戸文学との関わり、落語そして漱石の事実譚として読まれていた「坊ちゃん」という作品が、実は<学校騒動>の文脈の中で、当時の人が理解したこととして捉えなければ、学校小説とも称されるものが十全な理解にならない。

休 憩

第2部 講義に対する学び合い
□ 参加者の意見交流 〇:参加者からの質問 ●:佐藤先生のコメント
〇学校騒動はどうやって収束したのか。
●大正期をむかえ頃、中学校・高等学校・大学と収束してきた。学校制度が変わってきたことが大きい。1895年頃から受験競争がはじまる。蛍雪時代ですよ。苦学をしてまで学校で学び、立身したいとの志向が生まれた。皆さんは、大学受験で東京へ出たいとの指向はありましたか?参加学生に質問するも、答えは「ない」。ですから、今はその指向は崩壊し、地元志向です。

□ <不徳教師>の存在と<煽動>
〇坊ちゃんを読んでいるとエリート意識のある教師と生徒の話に読めるがどうですか。
●赤シャツが新任の坊ちゃんに対していつも見ているよとのメッセージを、生徒を使って送っていた。最後に師範学校と中学校がけんかする場面がるか、その場へ新聞記者をよんで、気に入らない不徳教員を放逐するため記事を書かせている。
〇赤シャツとしては、後から入ってきた坊ちゃんが高給を取ることが気に入らなかった?
●赤シャツは帝大卒です。坊ちゃんは物理学校卒ですから、赤シャツのほうが上です。じゃあ、赤シャツは誰かと考えると、夏目漱石ですよね。
●赤シャツはなんで赤いシャツを着ているのか?
 資料を読み解く。天然痘予防のために、赤がいい。だから、病気にかからない。病気もコントロールしたいという人物像として描かれ、読者は全国にもそうした人物が多くいたとして読んでいた。漱石は社会派的な作家であり、意識して、社会背景を松山の中学校における騒動を描いた。
●学校騒動の五大原因について(資料:太陽;梅謙次郎談)をたどりながら確認していく
〇明治の時代の学校騒動というのは中等教育以上だと思うんですけど、学校批判は今も変わらず同じで続いている。この五大原因は批判の典型ですね。
●私は思うんですけど、もし、戦後の学校教育も変わらす連続性があるとしたら、学校教育はあまり変わっていないのかな。
〇そうなんですよ。批判の仕方も変わっていない。だから、こういう時代背景の中で、坊ちゃんという作品に仕立て上げたことが素晴らしいことですね。
●よく言われている通りですが、漱石は松山に1年足らずしか居なかった。28歳の短い体験を39歳に書いた作品で、漱石は時代の中の問題がわかっていたということです。
●尾崎豊のヒット曲「卒業」に描かれている世界は、1980年代の管理教育の学校の姿ですね。スクールウオーズです。昔の先生は、鞭をふるっていた。
〇今は、幼児教育にその様子が見えますよね。
●坊ちゃんの映像作品には、マドンナの描かれ方が時代とともに変化している。小説の中の女性はしゃべらない。しかし、松坂慶子演ずるマドンナは、活動的な女性としてよくしゃべる。女性の服装(葉絣と袴・セーラー服・ブレザー服)からもジェンダーを見ることがでる面白さがあります。
 時代と作品を掘ってくると、違う視点がもっと出てくるような気がします。と結ばれました。
 
参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、教科の専門性を身に付けることです。
 魯迅の故郷を中3で読みます。この作品で魯迅は当時の世間を変えようとしたとされます。漱石の「坊っちゃん」にもそういう意図があったということに驚きました。リズミカルで楽しく大衆的なフィクション作品としてしかとらえていなかったからです。
「坊ちゃん」が学校騒動を背景としており、これを読みとくことで当時の学校問題がうきぼりに なってくるという視点も目からうろこでした。国語の授業を行うにあたって、教材研究が大切だと言われます。教材研究は素材研究だけではありません。学習者、研究指導者研究もあります。でも現場の小中学校教諭は、教材研究=即座に指導研究ととらえ、授業をどう進めるかばかりに目を向けます。私は、教材研究は教材の価値を見抜くことだと思っておりそのためにも今日のような専門性のある研究こそが授業づくりにも不可欠だと改めて実感しました。本作品は中学の教科書には取り上げられていませんが、中3で授業してみたいなあと思いました。
 佐藤先生の語りにひきこまれ、また、その造詣の深さに 感服いたしました。すっごく楽しかったです。ありがとうございました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、『坊ちゃん』が意外にも社会的な小説だったことです。
 猫や坊ちゃんは、漱石の作品の中でも軽い作品だと捉えがちだが、時代背景と作品の中身を考えると、かなり社会的な作品だというのが、佐藤先生の主張だった。学制頒布という前代未聞の近代化を図った明治は、〈学校騒動〉の時代でもあったらしい。それに関しては、よく理解できた。ただ、その時代の中等教育は、あくまでもエリート(田舎のエリートかもしれないが)対象の教育だった。そのエリートが従順ではなく勝手なことをしていたことが〈騒動〉と受け止められていた傾向もあったのではないだろうか。
 教育史の研究から、確かにこの時代は〈学校騒動〉の時代だったとの裏付けがあると、より説得的になると思う。教育史の観点からは、むしろ無理やり急激に学校制度を作ったことによる弊害や影響が語られていたように思う。ただ、これだけ当時の教育誌で問題視されていた〈学校騒動〉が、なぜ教育史ではそれほど重視されてこなかったことの方が印象に残った。同盟休校や旧制中学校・旧制高校の生徒の放埒が、むしろ好意的に語られている印象を受けるのはなぜだろうか。作品を時代背景のコンテクストの中で解釈するのは、当たり前のことでもあるが、それが『坊ちゃん』を対象に語られるというのは新鮮だった。

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10月28日(土)9:30より中島淑子先生によるセミナーを実施しました。

 10月28日(土)午前 9:30〜11:30に、201教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所長 中島淑子先生をお迎えして(身近な問題からはじめる教育実践論文の書き方)をテーマに行いました。

 今回の継続講座は、少人数で和気藹々な雰囲気の中、質疑を交わしながら実施できました。

第1部 わが人生の論文との出会い
□ 現職教員17年間のふりかえり
□ 教育実践論文の地位向上をめざして
  ― 休 憩 ―
第2部 個人研究と学校研究における大切なこと
□ 個人実践論文
□ 学校研究に想うこと

第1部 わが人生の論文との出会い 
□ 現職教員17年間のふりかえり
 私は教育実習での担当教諭から群馬県佐波郡島小学校の記録と出会いました。「実践を文章にまとめることが教師としての成長になる」このことが、論文人生の始まり。
 25歳:特別支援学級の実践を知多地区の論文応募に参加してみました。
 30歳:2年理科 ひまわり成長の跡についてまとめ応募。 
 39歳:5年理科 子どもたちの感想記録についてまとめました。この論文で、はじめて校内のある先生から指導(成果の検証が甘い)を受け、地区論文審査で特選を取りました。
 それまでは、教育実践論文は指導がされてきませんでした。
 また、学校研究・紀要についても、どこかの研究をまねて、積み重なってきたように感じるものが多いと感じ来ました。やはり、検証が甘いように感じます。
 大学に勤めるようになり、教育実践論文と学術論文の間に隔たりがあること感じてきました。
□ 教育実践論文の地位向上をめざして
 学術論文では、検証に数値を用いる論文が多い。
 教育方法学では、エピソード記述が中心となります。
 深い学びにおける検証はどうあるべきか?あまり研究されていません。
 例えば、子どもたちが授業で使用する主要語の出現率を分析して論文にまとめるケースもあります。
 
休 憩

第2部 個人研究と学校研究で大切なこと 〇:参加者の質問 ●:中島先生のコメント
□ 個人実践論文
〇中島先生は、どうして論文を書こうと思ったのですか。●最初に、特別支援学級で行っていた、ある子どもの1年間の成長について具体的な記録が残っていました。1年間に一つは創造的な仕事をしようと決め、それから論文を毎年書いてきました。
●実践をまとめて書く経験はありますか?
〇今、会社で毎週A4一枚の文章を書き社内ホームページに掲載し、80枚になりました。
●書くことで、振り返り、成長する。過去を覚えている。ということになりますね。
●哲学者が行っています。学術論文は検証できるものが多い。実践論文について言えば、例えば「金型を製作する工場では0.01ミリの違いを職人が極め、製品化している」こうした経験値が大切で、そうした部分はなかなか論文になっていない。
〇現場の先生は学術論文と実践論文のどちらを信じるのかな。
□ 学校研究に想うこと
●まず、テーマが大切で、具体的なもの(漢字が書ける子を)がいいですね。そして、テーマと検証がリンクしていることが大切です。論文の流れは、目的・方法・結果・考察となるが、目的には、目的0(個人の思いや願い)目的1(すべての生徒が意欲的に)目的2(今までどのように研究されてきたか)があり、特に、目的0を持つ必要があります。しかし、実際の論文には書きません。
●教育実践の向上をめざして、学べる集団になってほしい。
 教育方法学研究室は1950年代 重松先生が、教育の発展は、教育の科学化をめざすことであり、子どもの事実を語り、授業を検証する科学化を重視すべきと述べられました。
学校の授業研究会が一部の職員だけでなく、全職員の授業研究になるため、エビデンス(子どもの姿)をもとに語る授業検証の科学化が大切ということで締めくくられました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、書くことは振り返ることであり、成長につながるということです。
「人が何かのものを書くのはそのものを見るためだ」とロビン・G・コリングウッドは語っている。見ることは書くことの中で経験として成長してゆく。見ている事物がどんなものであるかは、それを描いてしまうまでわからないと英国の哲学者は言う。教育現場で起きている事実を書きとめ、空間的に立体的に展開している子どもたちの事実を立ち止まって見つめることで、価値の認識がはじまる。今日の講座では、成果の検証が中心的なテーマとして語られた。教室で起きている貴重な実践を後世に残すためには、教育の科学化を目指す必要を強く感じました。ありがとうございました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、「文章でまとめる」こと。日々の実践・気づきをそのままにしないで、文章として記録するということです。
講師の先生の論文にまつわる経験を聴きながら、教育における論文の位置づけを知ることができました。教育の特殊性が論文にも表れていると感じました。教育の向上を目指すために、日々の経験や気づきを文章にまとめていくことからはじめ、そこにテーマ性を見出し、目的、方法、結果、考察とまとめ上げていくことが重要なことだと思いました。教育は、なかなか科学的に数値的表現が難しいが、教育の科学化を目指すことは忘れてはならないことだと思いました。
日頃、学校現場で感じているモヤモヤを文章に起こし、少しでも科学的に分析をしながら、記録していき、これからの教育のために少しでも役立つように取り組んでいきたいものです。また、会の中で、いろいろと話し合うことができ、とても有意義な時間となりました。受動的でなく、論議に参加していくことの重要性、楽しさも経験することができました。ありがとうございました。

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第6回セミナー 中 止 のお知らせ

 9月9日(土) 13:30〜15:30に予定をしておりました
第6回セミナー
「道徳授業における子どもの学びを捉える」につきまして、

 講師の先生のご都合により中止とさせていただきます。

 参加申し込みいただきました多数の方々、楽しみにしてみえたことと存じますが、
残念ながら中止の判断をいたしました。

 次回、以降のセミナーへのご参加をお待ちしております。
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配布文書

愛知文教大学 学び合う学び研究所
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TEL:0568-68-6161