最新更新日:2024/11/10
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10月28日(土)13:30より佐藤良太先生によるセミナーを実施しました。

 10月28日(土) 13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
講師に愛知文教大学の准教授 佐藤良太先生をお招きし、夏目漱石「坊っちゃん」―明治の教育雑誌から読む〈学校〉― をテーマに行いました。

 今回のセミナーには、本学卒業生で県立高等学校の教師をしている方や現役学生、中高の先生方、研究者など多様な立場の参加者により学び合いました。

第1部 佐藤先生の研究より講義(明治教育メディアとの連動性)
□ 夏目漱石<坊ちゃん>について
□ <学校騒動>という背景
□ <大衆性>の基底
  ― 休 憩 ―
第2部 講義に対する学び合い
□ 参加者からの質問
□ <不徳教師>の存在と<煽動>
□ 佐藤先生からの追加コメント

第1部 
□ 夏目漱石<坊ちゃん>について
 本セミナーの滑り出しは、そもそも、「坊ちゃん」文中には「松山」の記載が一切ない。ところが、松山には「坊ちゃん電車が走り、坊ちゃん団子」がある???
資料:夏目漱石「坊ちゃん」直筆原稿には「中国辺のある中学校」の記述があり、その「中国」を「四国」に書き改めている。漱石は実際に松山中学校に務めているが、時代の文脈を反映し、地方の教育現場を活写している。

□ <学校騒動>という背景
 漱石は、明治とともに生きてきた。漱石は小説「坊ちゃん」を、学校の務めから帰り、400字原稿用紙に換算して215枚を一週間程度で書き上げた。この小説は、時代によってその想定が変遷している。2016年には映画化されはじめている。
 江藤淳は「坊ちゃん」解説=勧善懲悪の伝統と復活としての構造を紹介した。
 この小説のタイトルをなぜ「坊ちゃん」としたのか?
作中、「坊ちゃん」と語ったのは二人である。まず吉川(野だいこ)で「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」と語らせている。また、清(封建時代の下女のような老婆)に「あなたは正直でよいご気性だ、だから坊ちゃんだ」と語らせている。義理とか人情とか正直とかの倫理観が大事なものである。このことから、「法律にふれなければ道理などどうでもいい」といった時代に対する強烈なアンチテーゼとしてタイトルの意味があり、時代に問うた作品として読める。
 当時広汎に受容された「坊ちゃん」が<学校騒動>の文脈で受容される回路を提示
 資料:明治の教育事情(明治8年から30年間には学校数、教員数、生徒数が急増)により、教育専門の新聞・雑誌メディアの成長、資料:「太陽」(当時の総合雑誌)には、学校騒動の記載がある。当時の学校建築は、監獄(一望監視装置)を模しており、教壇があり鞭をもって教鞭にあたっていた。学校寄宿舎では学生が暴れていた。<学校騒動>の基底には、教員と生徒のディスコミュニケーションがあり、生徒は教員の品位を攻撃。教育を施す側の品行が指弾されていた。小説坊ちゃんにおける赤シャツの言辞に投影されている。
 明治20年〜30年代の学校騒動は年間76件(明治31年集計)五日に一回、大量(100名)の退校・(80名)停学の大規模な処分があった。

□ <大衆性>の基底
 「坊ちゃん」におけて展開されて教師と生徒の対立は、単なる面白い話ではなく、十数年にわたって全国各地で頻発していた「学校騒動」に回収される。
 今まで、江戸文学との関わり、落語そして漱石の事実譚として読まれていた「坊ちゃん」という作品が、実は<学校騒動>の文脈の中で、当時の人が理解したこととして捉えなければ、学校小説とも称されるものが十全な理解にならない。

休 憩

第2部 講義に対する学び合い
□ 参加者の意見交流 〇:参加者からの質問 ●:佐藤先生のコメント
〇学校騒動はどうやって収束したのか。
●大正期をむかえ頃、中学校・高等学校・大学と収束してきた。学校制度が変わってきたことが大きい。1895年頃から受験競争がはじまる。蛍雪時代ですよ。苦学をしてまで学校で学び、立身したいとの志向が生まれた。皆さんは、大学受験で東京へ出たいとの指向はありましたか?参加学生に質問するも、答えは「ない」。ですから、今はその指向は崩壊し、地元志向です。

□ <不徳教師>の存在と<煽動>
〇坊ちゃんを読んでいるとエリート意識のある教師と生徒の話に読めるがどうですか。
●赤シャツが新任の坊ちゃんに対していつも見ているよとのメッセージを、生徒を使って送っていた。最後に師範学校と中学校がけんかする場面がるか、その場へ新聞記者をよんで、気に入らない不徳教員を放逐するため記事を書かせている。
〇赤シャツとしては、後から入ってきた坊ちゃんが高給を取ることが気に入らなかった?
●赤シャツは帝大卒です。坊ちゃんは物理学校卒ですから、赤シャツのほうが上です。じゃあ、赤シャツは誰かと考えると、夏目漱石ですよね。
●赤シャツはなんで赤いシャツを着ているのか?
 資料を読み解く。天然痘予防のために、赤がいい。だから、病気にかからない。病気もコントロールしたいという人物像として描かれ、読者は全国にもそうした人物が多くいたとして読んでいた。漱石は社会派的な作家であり、意識して、社会背景を松山の中学校における騒動を描いた。
●学校騒動の五大原因について(資料:太陽;梅謙次郎談)をたどりながら確認していく
〇明治の時代の学校騒動というのは中等教育以上だと思うんですけど、学校批判は今も変わらず同じで続いている。この五大原因は批判の典型ですね。
●私は思うんですけど、もし、戦後の学校教育も変わらす連続性があるとしたら、学校教育はあまり変わっていないのかな。
〇そうなんですよ。批判の仕方も変わっていない。だから、こういう時代背景の中で、坊ちゃんという作品に仕立て上げたことが素晴らしいことですね。
●よく言われている通りですが、漱石は松山に1年足らずしか居なかった。28歳の短い体験を39歳に書いた作品で、漱石は時代の中の問題がわかっていたということです。
●尾崎豊のヒット曲「卒業」に描かれている世界は、1980年代の管理教育の学校の姿ですね。スクールウオーズです。昔の先生は、鞭をふるっていた。
〇今は、幼児教育にその様子が見えますよね。
●坊ちゃんの映像作品には、マドンナの描かれ方が時代とともに変化している。小説の中の女性はしゃべらない。しかし、松坂慶子演ずるマドンナは、活動的な女性としてよくしゃべる。女性の服装(葉絣と袴・セーラー服・ブレザー服)からもジェンダーを見ることがでる面白さがあります。
 時代と作品を掘ってくると、違う視点がもっと出てくるような気がします。と結ばれました。
 
参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、教科の専門性を身に付けることです。
 魯迅の故郷を中3で読みます。この作品で魯迅は当時の世間を変えようとしたとされます。漱石の「坊っちゃん」にもそういう意図があったということに驚きました。リズミカルで楽しく大衆的なフィクション作品としてしかとらえていなかったからです。
「坊ちゃん」が学校騒動を背景としており、これを読みとくことで当時の学校問題がうきぼりに なってくるという視点も目からうろこでした。国語の授業を行うにあたって、教材研究が大切だと言われます。教材研究は素材研究だけではありません。学習者、研究指導者研究もあります。でも現場の小中学校教諭は、教材研究=即座に指導研究ととらえ、授業をどう進めるかばかりに目を向けます。私は、教材研究は教材の価値を見抜くことだと思っておりそのためにも今日のような専門性のある研究こそが授業づくりにも不可欠だと改めて実感しました。本作品は中学の教科書には取り上げられていませんが、中3で授業してみたいなあと思いました。
 佐藤先生の語りにひきこまれ、また、その造詣の深さに 感服いたしました。すっごく楽しかったです。ありがとうございました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、『坊ちゃん』が意外にも社会的な小説だったことです。
 猫や坊ちゃんは、漱石の作品の中でも軽い作品だと捉えがちだが、時代背景と作品の中身を考えると、かなり社会的な作品だというのが、佐藤先生の主張だった。学制頒布という前代未聞の近代化を図った明治は、〈学校騒動〉の時代でもあったらしい。それに関しては、よく理解できた。ただ、その時代の中等教育は、あくまでもエリート(田舎のエリートかもしれないが)対象の教育だった。そのエリートが従順ではなく勝手なことをしていたことが〈騒動〉と受け止められていた傾向もあったのではないだろうか。
 教育史の研究から、確かにこの時代は〈学校騒動〉の時代だったとの裏付けがあると、より説得的になると思う。教育史の観点からは、むしろ無理やり急激に学校制度を作ったことによる弊害や影響が語られていたように思う。ただ、これだけ当時の教育誌で問題視されていた〈学校騒動〉が、なぜ教育史ではそれほど重視されてこなかったことの方が印象に残った。同盟休校や旧制中学校・旧制高校の生徒の放埒が、むしろ好意的に語られている印象を受けるのはなぜだろうか。作品を時代背景のコンテクストの中で解釈するのは、当たり前のことでもあるが、それが『坊ちゃん』を対象に語られるというのは新鮮だった。

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10月28日(土)9:30より中島淑子先生によるセミナーを実施しました。

 10月28日(土)午前 9:30〜11:30に、201教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所長 中島淑子先生をお迎えして(身近な問題からはじめる教育実践論文の書き方)をテーマに行いました。

 今回の継続講座は、少人数で和気藹々な雰囲気の中、質疑を交わしながら実施できました。

第1部 わが人生の論文との出会い
□ 現職教員17年間のふりかえり
□ 教育実践論文の地位向上をめざして
  ― 休 憩 ―
第2部 個人研究と学校研究における大切なこと
□ 個人実践論文
□ 学校研究に想うこと

第1部 わが人生の論文との出会い 
□ 現職教員17年間のふりかえり
 私は教育実習での担当教諭から群馬県佐波郡島小学校の記録と出会いました。「実践を文章にまとめることが教師としての成長になる」このことが、論文人生の始まり。
 25歳:特別支援学級の実践を知多地区の論文応募に参加してみました。
 30歳:2年理科 ひまわり成長の跡についてまとめ応募。 
 39歳:5年理科 子どもたちの感想記録についてまとめました。この論文で、はじめて校内のある先生から指導(成果の検証が甘い)を受け、地区論文審査で特選を取りました。
 それまでは、教育実践論文は指導がされてきませんでした。
 また、学校研究・紀要についても、どこかの研究をまねて、積み重なってきたように感じるものが多いと感じ来ました。やはり、検証が甘いように感じます。
 大学に勤めるようになり、教育実践論文と学術論文の間に隔たりがあること感じてきました。
□ 教育実践論文の地位向上をめざして
 学術論文では、検証に数値を用いる論文が多い。
 教育方法学では、エピソード記述が中心となります。
 深い学びにおける検証はどうあるべきか?あまり研究されていません。
 例えば、子どもたちが授業で使用する主要語の出現率を分析して論文にまとめるケースもあります。
 
休 憩

第2部 個人研究と学校研究で大切なこと 〇:参加者の質問 ●:中島先生のコメント
□ 個人実践論文
〇中島先生は、どうして論文を書こうと思ったのですか。●最初に、特別支援学級で行っていた、ある子どもの1年間の成長について具体的な記録が残っていました。1年間に一つは創造的な仕事をしようと決め、それから論文を毎年書いてきました。
●実践をまとめて書く経験はありますか?
〇今、会社で毎週A4一枚の文章を書き社内ホームページに掲載し、80枚になりました。
●書くことで、振り返り、成長する。過去を覚えている。ということになりますね。
●哲学者が行っています。学術論文は検証できるものが多い。実践論文について言えば、例えば「金型を製作する工場では0.01ミリの違いを職人が極め、製品化している」こうした経験値が大切で、そうした部分はなかなか論文になっていない。
〇現場の先生は学術論文と実践論文のどちらを信じるのかな。
□ 学校研究に想うこと
●まず、テーマが大切で、具体的なもの(漢字が書ける子を)がいいですね。そして、テーマと検証がリンクしていることが大切です。論文の流れは、目的・方法・結果・考察となるが、目的には、目的0(個人の思いや願い)目的1(すべての生徒が意欲的に)目的2(今までどのように研究されてきたか)があり、特に、目的0を持つ必要があります。しかし、実際の論文には書きません。
●教育実践の向上をめざして、学べる集団になってほしい。
 教育方法学研究室は1950年代 重松先生が、教育の発展は、教育の科学化をめざすことであり、子どもの事実を語り、授業を検証する科学化を重視すべきと述べられました。
学校の授業研究会が一部の職員だけでなく、全職員の授業研究になるため、エビデンス(子どもの姿)をもとに語る授業検証の科学化が大切ということで締めくくられました。

参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、書くことは振り返ることであり、成長につながるということです。
「人が何かのものを書くのはそのものを見るためだ」とロビン・G・コリングウッドは語っている。見ることは書くことの中で経験として成長してゆく。見ている事物がどんなものであるかは、それを描いてしまうまでわからないと英国の哲学者は言う。教育現場で起きている事実を書きとめ、空間的に立体的に展開している子どもたちの事実を立ち止まって見つめることで、価値の認識がはじまる。今日の講座では、成果の検証が中心的なテーマとして語られた。教室で起きている貴重な実践を後世に残すためには、教育の科学化を目指す必要を強く感じました。ありがとうございました。
◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、「文章でまとめる」こと。日々の実践・気づきをそのままにしないで、文章として記録するということです。
講師の先生の論文にまつわる経験を聴きながら、教育における論文の位置づけを知ることができました。教育の特殊性が論文にも表れていると感じました。教育の向上を目指すために、日々の経験や気づきを文章にまとめていくことからはじめ、そこにテーマ性を見出し、目的、方法、結果、考察とまとめ上げていくことが重要なことだと思いました。教育は、なかなか科学的に数値的表現が難しいが、教育の科学化を目指すことは忘れてはならないことだと思いました。
日頃、学校現場で感じているモヤモヤを文章に起こし、少しでも科学的に分析をしながら、記録していき、これからの教育のために少しでも役立つように取り組んでいきたいものです。また、会の中で、いろいろと話し合うことができ、とても有意義な時間となりました。受動的でなく、論議に参加していくことの重要性、楽しさも経験することができました。ありがとうございました。

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