最新更新日:2024/12/19 | |
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12月9日(土)13:30より畠山大二郎先生によるセミナーを実施しました。
12月9日(土) 13:30〜15:30に201教室において実施しました。
講師に愛知文教大学准教授 畠山大二郎先生をお招きし、教科書の中の平安文化を捉え直す〜古文 絵巻 装束〜 をテーマに行いました。 今回のセミナーには、中・高等学校の先生方、研究者、学生と多様な立場の方が集い実施できました。 第1部 古文を読み直す 〇 「枕草子」初段「春はあけぼの」を読み直す ― 休 憩 ― 第2部 古文と絵巻 〇 絵巻物の読み方 〇 「竹取物語絵巻」 第3部 古文と装束 〇 装束に触れる 最初に、参加された方の自己紹介からはじまり、畠山先生の自己紹介をお聞きしました。畠山先生には、貴重なコレクションをお持ちいただいた、実際に手に取らせてもらうことができました。枕草子の写本や絵巻物の複製、さらに実際に羽織らせていただいた装束のコレクション、今では近世の着物にも手を出しているとのことで、いまだに貯金というものを手にしたことがないとお話に、会場が沸きました。(笑い)今日は、下記の3点について文化的に読み直していきましょうということでスタートです。 第1部 古文を読み直す 〇 「枕草子」初段「春はあけぼの」を読み直す 冒頭の、解釈には現代でも論議が続いているとのことです。そこで、国文学研究資料館蔵(能因本)を音読された後に、翻字(現代語に訳したもの)を見せていただき、その比較を指摘してもらいました。写本による誤写(意図的変換)がおきていたり、一行欠落している部分があったり、この場合は誤写ではなく改変が起きていることに気づくことができました。 原典と教科書の古文を比較してみると、冬は(つとめて:欠落)雪のふりたる・・・・など大変多くの改変が起きていることがわかります。 写本には三巻本、能因本、堺本、前田家本の四系統があるなど実に多様であることを教えていただきました。それぞれの表記が揺れ動き違っている。清少納言が著したものに一番近いのが、三巻本ではないかとされており、教科書に使われているそうです。一番古く写本されたのは、前田家本であり、実に読みやすい。その読みやすさがおかしいのではないかとの解釈があり、書写する人が、新しいものを造ってきたのではないかと言われています。 三巻本が教科書に採用されたが、校訂本文は、原典から1⃣濁点半濁点をつける。2⃣反復記号を変換する。3⃣漢字変換を行う。4⃣句読点をつける。などの改変を行っています。 <句読点1> 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 <句読点2> 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる、雲のほそくたなびきたる。 〇 上記の二文を比較して句読点の位置による違いは何か?をテーブルごとに聴き合いました。しばらく、聴き合った後に全体共有をしました。 ●畠山先生のコメント □参加者のコメント □ 疑問があるのですが、句読点や読点について、我々が行っている授業分析では千分の1秒止まれば句読点、数秒止まれば読点。また、文章の意味から読点をつけたのか。など、どういう基準があるのでしょうか。リズムによって違ってきますよね。 ● 当時も音読して鑑賞していました。「なむ」は一旦止まるところにはいる。「たる」は、続くのか続かないのか、言葉の意味の解釈で違ってきます。今回は、私が勝手に打ってみました。それでは、各テーブルの読みを聴いてみたいと思います。 □ 句読点1は、だんだんが全体にかかり、白くが山ぎはにかかかる。紫だちたる雲が細くたなびいている。句読点2は、だんだんが白くにかかる。すこしあかりてが山ぎはにかかる。と読みました。 □ 句読点1は、前のテーブルと一緒です。句読点2のだんだん白く、紫だちたるは独立している。など、句読点2に関する解釈にはテーブルごとに多様性がみられました。 ● みなさんの読みをお聞きすると、句読点1がだいたい定まっていますね。ということは、こちらが多く使われいる理由になりますね。「すこしあかりて」の「あかりて」がひらがなになっています。わざわざ「ひらがな」にしているところがあります。漢字にすると「赤」は色彩「明」は状況が考えられますが、説明しきらない「掛詞的な表現」になっているのです。 □ 少しわかりにくいのは、句読点1は絵に表現できるように思います。句読点2は動画的な状況が浮かびます。こうしたことを文学では問題にしないのですか。 ● 時間の経過は大切で、平安のころには、こういう表現を「うつろふ」=(移、変化する)といいます。変化する様をどうするかということから絵巻物の表現がうまれました。古今和歌集は四季を扱い時系列に和歌をまとめております。また、恋の表現にも変化する想いを詠んでいます。 ― 休 憩 ― 第2部 古文と絵巻 〇 絵巻物の読み方 美術館では、絵巻物を広げて横に長く展示をすることが多いですが、あれは展示会ならではの見せ方です。本来、鑑賞者は肩幅に絵巻物を広げて鑑賞するため、右から左へ画面が登場してくることになり、画面の動きが、空間的・時間的展開を生み出します。 畠山先生が実際の絵巻物を手に取り説明され、各テーブルでも実物を巻き取りながら手に取る貴重な経験をすることができました。 画像では、紫式部絵巻の場面を読み取っていきました。この人物は酔っ払っていますよね。ということは宴会をしている情景だと読み取れます。視点の移動にコマ割をつけると漫画になりますね。伴大納言絵巻の一場面を拝見し、ケンカしている子供に割って入った大人がおり、次の場面では相手の子どもを蹴飛ばしている。同じ場面に異なった時間が右から左に描かれる文法を「異時同図法」と呼んでいます。その他に「引目鉤鼻」「吹抜屋台」「逆遠近法」源氏物語絵巻では、奥に座る帝の姿を大きく描き、奥に行くに従い広がって表現する逆遠近法がつかわれています。これを絵巻物の文法と呼んでいます。 〇 「竹取物語絵巻」 いろいろな絵巻が描かれています。かぐや姫の昇天の場面について、立教大図書館蔵本では、かぐや姫の邸内を中心に描いていますが、国学院図書館蔵本では、武者たちがかぐや姫を月に戻さないため阻止する武者が描かれている。比較すると、大きな違いがあります。 現在では、Colbase(国立博物館の画像データベース)では画像を公開しています。ぜひご覧くださいと紹介されました。 第3部 古文と装束 〇 装束に触れる 装束とは、衣服・装身具の集合体や、宮殿内部の室礼(しつらい)、武具や馬具の装置など、幅広いものを指す言葉です。 こうした装束たちは、有職故実によって細かな規定が存在していることを紹介していただきました。持参された装束を参加者を代表した女性がモデルになり、かさね着を実際に体験することができ、美しい姫が誕生しました。 参加された方からの振り返りを紹介します。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、改変です。 今回のセミナーでは、面白いと感じたことや新しく知れたことがたくさんありました。 教科書と能因本を比較して見た時に、表現の仕方が違っていたり、一行抜けていたりなど今まで読んできたものとは違う部分が多くありとても驚きました。またこのことが、誤写ではなく改変されたということも知ることができました。句読点の違いでは、教科書の方が意味定義がしやすく1つに決まり、他の例では様々な意見が出たことから教科書の方は教えやすさや分かりやすさがあり学校向きだなと思いました。全体的にとても興味深く楽しかったです。また、たくさんの刺激をもらい、新しいことを多く知ることができました。ありがとうございます。 ◆中学校2年国語の「春のあけぼの」の授業を見たことがありますが、生徒達は言葉を手がかりに、句読点のあるなしを頼りに、何とかして情景を思い浮かべようと頑張っていた姿を思い出しました。その生徒達と同じ立場で、一生懸命読み直すことができたのはよかったです。ところが、そのもととなる本が何種類もあるとは思いもしなかったことで、実におもしろく興味深かったです。確かにコピーのない時代、よかれと思って書いた変更が後々大きな違いを生むというのはあり得る話しで、教科書はたくさんの本の中で、最もブレが少ないものというのは、なるほどと思いました。また、絵巻は静止画しかない時代に少しでも動画的な要素を加えたもので、最大の工夫であると思いました。装束についても、本物を目の当たりにし、歴史的な背景やその時代の工夫を知ることができて、それぞれの「深さ」を感じとることができました。今後に生かすことができそうです。ありがとうございました。 第4回 学び合う学び研究所フェロー会議を開催しました。シニアフェロー: 的場正美、副島 孝(柴田好章:公務のため欠席) フ ェ ロ ー: 倉知雪春、後藤孝文、神戸和敏、木村芳博、栗木智美、林 文通(中川行弘、松村美奈、竹中 烈、内田吉哉:公務のため欠席) 事 務 局 :中島淑子所長、永井勝彦事務長 1.所長あいさつ 2.議 事 1⃣2023年度活動実績報告について 2⃣2024年度活動計画について 3⃣活動への意見交流、 4⃣その他 科研費・研究紀要発行について 以上、ご意見をいただき、承認されました。 5.その他 連絡事項 フェロー紹介フェロー紹介
シニアフェロー
フェロー紹介フェロー紹介フェロー紹介
フェロー
フェロー紹介
フェロー
第12回 3月セミナーのご案内
2024年3月16日(土) 13:30〜15:30
会 場 愛知文教大学 201教室 〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3 テーマ 「学びを楽しむ授業づくり・学校づくり2」 講 師 学び合う学び研究所フェロー 林 文通先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定3月予定GOOGLE フォームまたは、ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf3jWU... 第11回 2月セミナーのご案内
2024年2月17日(土) 13:30〜15:30
会 場 愛知文教大学 201教室 〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3 テーマ 「知識はどう伝わるのか?-授業のための社会構成主義-」 講 師 学び合う学び研究所シニアフェロー 副島 孝先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定3月予定GOOGLE フォームまたは、 ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfol3c... 第4回 継続講座4を開催します。
2024年2月10日(土)13:30〜15:30
2024年3月9日(土)13:30〜15:30 会 場 愛知文教大学 201教室 〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3 テーマ「通常学級における特別の支援が必要な子どもへの教育支援」 講 師 学び合う学び研究所フェロー 中川 行弘 先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定2月・3月予定GOOGLE フォームまたは、ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSebhi7... 第10回 1月セミナーのご案内
2024年1月20日(土) 13:30〜15:30
会 場 愛知文教大学 201教室 〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3 テーマ 「学び合う学びをヒドゥン・カリキュラムの視点で深める」 講 師 学び合う学び研究所フェロー 後藤 孝文先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定1月予定GOOGLE フォームまたは、 ここからhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdhxpg... 11月18日(土)13:30より栗木智美先生によるセミナーを実施しました。
11月18日(土) 13:30〜15:30に、403教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所フェロー栗木智美先生をお招きし、「主体的・対話 的で深い学び」の実現に向けての第一歩を 〜学びの作法と教材研究の体験を通して一緒に考えましょう〜 をテーマに行いました。 今日は、市内外の多くの小学校で運動会や学習発表会が実施された午後に、小中の先生方、研究者、学生と多様な立場の方が集いセミナーを行うことができました。 本日のスケジュールは下記の流れです。 第1部 学びの作法 1 体験 2 振り返り ― 休 憩 ― 第2部 教材研究と授業 1 短歌の教材研究 2 授業動画から考える 第1部 学びの作法 1 体験 ●栗木先生のコメント 谷川俊太郎の詩「自己紹介」を読み味わい、それを受けて参加者が考えた自己紹介詩をグループで聴き合いました。 1部では、学びの作法(マナー)について考えました。ルールではありません、作法・マナーです。そのことを考えるために、小学5年生が学ぶ「面積」のジャンプ問題に挑戦しました。√が使えない小学生がどのように考えていくか?かなり難しい課題です。グループで聴き合いますが、考える糸口が見つかりません。 ● 「答えを出そうとして、体験してもらったわけではありません。今のグループで起きていた状況を客観的に見つめてください」といって、学びの様子をチェックする項目が示されました。 〇四人で時間を平等に使えるように配慮しましたか? 〇わからない、教えてと言えましたか? 〇聞かれたら、答えを教えずに一緒に考えられましたか? 〇仲間の考えを尊重し、自分と比べながら聴けましたか? 〇仲間からすすんで考えをきき、学ぼうとしましたか? 〇他の仲間を気遣い、声をかけられましたか? 〇個のペースを大切にしましたか? 〇一つの方法や考えで満足せず、さらに考えようとしましたか? 栗木先生が今まで教室で生徒に示してきた「学びのマナー」の紹介があり、現在、栗木先生が教えてみえる中学校の2年生の二クラスの生徒が自分たちで作り上げた学びのマナーの紹介がりました。 2 振り返り ●栗木先生のコメント □参加者のコメント ここまでの学びをグループで振り返る。数分のリフレクション後に全体で共有しました。 ● 何か分からないことや気づきはありますか? □ 誰一人も落とさないといいますよね。発達障害や支援が必要な子ども、学国にルーツのある子どもがいます。どういう手立てをしたらいいか、栗木先生はどうしていますか? □ 指示をしたらどうするかを感じています。自分のクラスには、なかなかコミュニケーションが取れない発言もできず、よく絵に表現する子どもがいます。ですから、一人の世界に入ってしまう子供です。同じグループの子どもに、どう思うとか、言葉をかけてくれるように促しています。 ● それを聴かれてどうですか? □ ごめんなさい、他ごとを考えていました。(笑い)誰も独りにしないというのは難しく。外国籍を自分たちの仲間として引き受けることは子どもには大変難しい。学びのマナーをクラスで作ったが、やっている先生とそうでない先生がいるが、生徒は結構使い分けている。学校全体で共通するマナーはなかなか実現できないのが現実ですね。 ● それを聴いてどうですか。 □ 生徒は先生ごとに、いろいろ使い分かるというのは、当然だと思いますね。学校全体としてどうあるべきかを考えることは大切にしていきたい。栗木先生のすごさは、子どもたちに話合わせてマナーを作りやっていること、最終的に学ぶのは生徒なのでいいことである。 □ 中学校でやっていると、生徒が作った「嫌なことはどんなこと」がいいなと思いました。小学校ではどんな様子ですか。 □ 小学校でも、子どもたちがうまくやっている。場によって臨機応変ですね。 ● 本校は小中連携をしており、小学校の授業も見せて頂く機会があります。彼らが六年生の時も参観しました。その時の学びが素晴らしく、とてもよい学びの文化を築いていると思いました。よく、中学校と小学校は違うと言われます。でも、私はちょっと違い、彼らが築いてきた素敵な文化は中学校でも引き継ぐことが中学校の責務だと考えます。 入学してきた生徒へは「みんなの六年の時の授業を見せてもらって感動したよ。素晴らしい学びを身に付けてきたね。それはみんなの宝物だよ。」中学校ではさらに伸ばしていこうね。と言いっています。 □ 見せていただいたマナーは、一年間をかけて日々更新していくものですか? ● ルールでないというのはそのことですね。できないこともあるがマナーですから日々できるようになっていく。 ● 最初の質問に戻りますが、支援の必要な子どもには、他の子どもからの支援につないでいます。心配だなと思う子どもには特にしています。しかし、その時々の子どもの様子によります。 □ 一年の最初、授業開きでマナーをつくられるが、栗木先生の最初の言葉かけはどんなことですか。 ● 覚えがない。今年は、最初に何をやるかわかる?と子どもに呼びかけたら、生徒の方からマナーが出てきた。そこで、嫌なことややりたいこと何?と問いかけました。 1年生には、みんなが小学校でやってきた学びあいを教えて。こんなことが嬉しかったよ、とか逆にこういうのは嫌だなと思っていたとか、そこから、この一年の学びのマナーを作っていこうか。と話していたことを思い出します。 ― 休 憩 ― 第2部 教材研究と授業 1 短歌の教材研究 教材とは、教師が教える材だから、これからは、子どもが学ぶために学習材ではないか? 最初に、学習指導要領ではどのように表現されているかを確認し、扱う学習材をいかに研究していくか、単元観には何を書くのかを説明されました。 栗木流の文学教材を図で示しながら話されました。 〇 一個人としての視点(作品への愛情・価値)を見つけるため何度も読む 〇 学習者としての視点(学習者としての戸惑い・躓き・発見)想像してみる 〇 指導者としての視点 指導する方法を考えてみる 参加者二人が音読をしてから、 以上の3視点を使い、与謝野晶子の歌「なにとなく君に待たるるここちして 出でし花野の夕月夜かな」をグループで研究しましょう。 グループ活動(教材研究) 2 授業動画から考える 栗木先生の教材研究を明かさず、いきなり実際の授業動画を視聴し、発話記録をもとに生徒がどのように学びをすすめたかを読み解きました。 ●:栗木先生のコメント □:参加者のコメント ● ご覧になった生徒の姿から感じられたことをグループで共有してください。 いかがですか。 □ 教師の読み方と違う生徒の読みに対して、自分だとなかなか勇気が出ないのですが、他の生徒へ「今の読みに寄添って」と発問できるのはすごいなと感じました。 ● 君が弟との読みが出ることは予想ができていたが、晶子が鉄幹に出会う前の歌なので、読みに戻せば、違う読みが出るだろうという見込みはありました。私は君が鉄幹だろうと思っていました。「君に待たるる」は受身形なのですが、生徒からはなかなか出ませんでしたが、まあいいか。と正しい読みを期待していたわけではなく、あきらめて、生徒に委ねていました。 □ 授業記録の42:40の発言に「君が待っている気がする」がありましたが、そこまで栗木先生が待って見えたことで、教室の空気が変わった。素晴らしさを感じました。 ● この生徒は、担任も気にかけていた生徒で涙腺が厚くなる思いでした。 □ 他の授業でも、何度も読みに戻るということで、新しい気づきが生まれている。人の読みを聴いてもう一度読みに戻すことは意味のあることだと感じ、新しいものが生まれることに感じ入りました。 ● 教材研究したことが生徒の読みから出てこなくてもいいと感じている。生徒がこの歌を旅してくれたのかを大切にしている。毎回の教材研究はこんな感じですと、資料を見せていただくことができました。ある生徒が「外がただのコンクリートのところだったとしても、恋をしている気持ちで外へ出たら、どんな景色でもバラ色だよ」ということを言ってくれ、その時「はぁ」と感動しました。と話され「授業をするたびに、生徒の読みは教師を超えてくれます」と締めくくられました。 参加された方からの振り返りを紹介します。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、教材研究の仕方です。 栗木先生ありがとうございました。国語の教員でもない私ですが、教材研究の仕方はとても参考になりました。素材と生徒と指導の3つをその時の生徒に合わせて組み立てること、これは指導案を作るときは、記述するので意識しますが、指導案を作らなくても意識することだと改めて思いました。その中に生徒が入ってくるからこそ、同じ単元でも授業の仕方は変わって当たり前だと思いました。どのような生徒を育てたいかを意識し、また、それをマナーという形で生徒と共有することで生徒とともに授業を作り上げることができると思いました。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、学びのマナーは、子どもたち自身でつくりあげることが最も大切なことだとあらためて感じました。 詩を何度も読ませることで、子どもたちが色々なことに気づいていき、共有しながら詩を味わっていけることがよくわかりました。また、自分の授業では何度も読ませたり、話し合わせたりするなど、こちらがさせてしまっている場面が多いような気がしたので、子どもたちが主体的に教材や仲間と対話できる授業を考えていきたいと思いました。 10月28日(土)13:30より佐藤良太先生によるセミナーを実施しました。
10月28日(土) 13:30〜15:30に、201教室において実施しました。
講師に愛知文教大学の准教授 佐藤良太先生をお招きし、夏目漱石「坊っちゃん」―明治の教育雑誌から読む〈学校〉― をテーマに行いました。 今回のセミナーには、本学卒業生で県立高等学校の教師をしている方や現役学生、中高の先生方、研究者など多様な立場の参加者により学び合いました。 第1部 佐藤先生の研究より講義(明治教育メディアとの連動性) □ 夏目漱石<坊ちゃん>について □ <学校騒動>という背景 □ <大衆性>の基底 ― 休 憩 ― 第2部 講義に対する学び合い □ 参加者からの質問 □ <不徳教師>の存在と<煽動> □ 佐藤先生からの追加コメント 第1部 □ 夏目漱石<坊ちゃん>について 本セミナーの滑り出しは、そもそも、「坊ちゃん」文中には「松山」の記載が一切ない。ところが、松山には「坊ちゃん電車が走り、坊ちゃん団子」がある??? 資料:夏目漱石「坊ちゃん」直筆原稿には「中国辺のある中学校」の記述があり、その「中国」を「四国」に書き改めている。漱石は実際に松山中学校に務めているが、時代の文脈を反映し、地方の教育現場を活写している。 □ <学校騒動>という背景 漱石は、明治とともに生きてきた。漱石は小説「坊ちゃん」を、学校の務めから帰り、400字原稿用紙に換算して215枚を一週間程度で書き上げた。この小説は、時代によってその想定が変遷している。2016年には映画化されはじめている。 江藤淳は「坊ちゃん」解説=勧善懲悪の伝統と復活としての構造を紹介した。 この小説のタイトルをなぜ「坊ちゃん」としたのか? 作中、「坊ちゃん」と語ったのは二人である。まず吉川(野だいこ)で「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」と語らせている。また、清(封建時代の下女のような老婆)に「あなたは正直でよいご気性だ、だから坊ちゃんだ」と語らせている。義理とか人情とか正直とかの倫理観が大事なものである。このことから、「法律にふれなければ道理などどうでもいい」といった時代に対する強烈なアンチテーゼとしてタイトルの意味があり、時代に問うた作品として読める。 当時広汎に受容された「坊ちゃん」が<学校騒動>の文脈で受容される回路を提示 資料:明治の教育事情(明治8年から30年間には学校数、教員数、生徒数が急増)により、教育専門の新聞・雑誌メディアの成長、資料:「太陽」(当時の総合雑誌)には、学校騒動の記載がある。当時の学校建築は、監獄(一望監視装置)を模しており、教壇があり鞭をもって教鞭にあたっていた。学校寄宿舎では学生が暴れていた。<学校騒動>の基底には、教員と生徒のディスコミュニケーションがあり、生徒は教員の品位を攻撃。教育を施す側の品行が指弾されていた。小説坊ちゃんにおける赤シャツの言辞に投影されている。 明治20年〜30年代の学校騒動は年間76件(明治31年集計)五日に一回、大量(100名)の退校・(80名)停学の大規模な処分があった。 □ <大衆性>の基底 「坊ちゃん」におけて展開されて教師と生徒の対立は、単なる面白い話ではなく、十数年にわたって全国各地で頻発していた「学校騒動」に回収される。 今まで、江戸文学との関わり、落語そして漱石の事実譚として読まれていた「坊ちゃん」という作品が、実は<学校騒動>の文脈の中で、当時の人が理解したこととして捉えなければ、学校小説とも称されるものが十全な理解にならない。 休 憩 第2部 講義に対する学び合い □ 参加者の意見交流 〇:参加者からの質問 ●:佐藤先生のコメント 〇学校騒動はどうやって収束したのか。 ●大正期をむかえ頃、中学校・高等学校・大学と収束してきた。学校制度が変わってきたことが大きい。1895年頃から受験競争がはじまる。蛍雪時代ですよ。苦学をしてまで学校で学び、立身したいとの志向が生まれた。皆さんは、大学受験で東京へ出たいとの指向はありましたか?参加学生に質問するも、答えは「ない」。ですから、今はその指向は崩壊し、地元志向です。 □ <不徳教師>の存在と<煽動> 〇坊ちゃんを読んでいるとエリート意識のある教師と生徒の話に読めるがどうですか。 ●赤シャツが新任の坊ちゃんに対していつも見ているよとのメッセージを、生徒を使って送っていた。最後に師範学校と中学校がけんかする場面がるか、その場へ新聞記者をよんで、気に入らない不徳教員を放逐するため記事を書かせている。 〇赤シャツとしては、後から入ってきた坊ちゃんが高給を取ることが気に入らなかった? ●赤シャツは帝大卒です。坊ちゃんは物理学校卒ですから、赤シャツのほうが上です。じゃあ、赤シャツは誰かと考えると、夏目漱石ですよね。 ●赤シャツはなんで赤いシャツを着ているのか? 資料を読み解く。天然痘予防のために、赤がいい。だから、病気にかからない。病気もコントロールしたいという人物像として描かれ、読者は全国にもそうした人物が多くいたとして読んでいた。漱石は社会派的な作家であり、意識して、社会背景を松山の中学校における騒動を描いた。 ●学校騒動の五大原因について(資料:太陽;梅謙次郎談)をたどりながら確認していく 〇明治の時代の学校騒動というのは中等教育以上だと思うんですけど、学校批判は今も変わらず同じで続いている。この五大原因は批判の典型ですね。 ●私は思うんですけど、もし、戦後の学校教育も変わらす連続性があるとしたら、学校教育はあまり変わっていないのかな。 〇そうなんですよ。批判の仕方も変わっていない。だから、こういう時代背景の中で、坊ちゃんという作品に仕立て上げたことが素晴らしいことですね。 ●よく言われている通りですが、漱石は松山に1年足らずしか居なかった。28歳の短い体験を39歳に書いた作品で、漱石は時代の中の問題がわかっていたということです。 ●尾崎豊のヒット曲「卒業」に描かれている世界は、1980年代の管理教育の学校の姿ですね。スクールウオーズです。昔の先生は、鞭をふるっていた。 〇今は、幼児教育にその様子が見えますよね。 ●坊ちゃんの映像作品には、マドンナの描かれ方が時代とともに変化している。小説の中の女性はしゃべらない。しかし、松坂慶子演ずるマドンナは、活動的な女性としてよくしゃべる。女性の服装(葉絣と袴・セーラー服・ブレザー服)からもジェンダーを見ることがでる面白さがあります。 時代と作品を掘ってくると、違う視点がもっと出てくるような気がします。と結ばれました。 参加された方からの振り返りを紹介します。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、教科の専門性を身に付けることです。 魯迅の故郷を中3で読みます。この作品で魯迅は当時の世間を変えようとしたとされます。漱石の「坊っちゃん」にもそういう意図があったということに驚きました。リズミカルで楽しく大衆的なフィクション作品としてしかとらえていなかったからです。 「坊ちゃん」が学校騒動を背景としており、これを読みとくことで当時の学校問題がうきぼりに なってくるという視点も目からうろこでした。国語の授業を行うにあたって、教材研究が大切だと言われます。教材研究は素材研究だけではありません。学習者、研究指導者研究もあります。でも現場の小中学校教諭は、教材研究=即座に指導研究ととらえ、授業をどう進めるかばかりに目を向けます。私は、教材研究は教材の価値を見抜くことだと思っておりそのためにも今日のような専門性のある研究こそが授業づくりにも不可欠だと改めて実感しました。本作品は中学の教科書には取り上げられていませんが、中3で授業してみたいなあと思いました。 佐藤先生の語りにひきこまれ、また、その造詣の深さに 感服いたしました。すっごく楽しかったです。ありがとうございました。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、『坊ちゃん』が意外にも社会的な小説だったことです。 猫や坊ちゃんは、漱石の作品の中でも軽い作品だと捉えがちだが、時代背景と作品の中身を考えると、かなり社会的な作品だというのが、佐藤先生の主張だった。学制頒布という前代未聞の近代化を図った明治は、〈学校騒動〉の時代でもあったらしい。それに関しては、よく理解できた。ただ、その時代の中等教育は、あくまでもエリート(田舎のエリートかもしれないが)対象の教育だった。そのエリートが従順ではなく勝手なことをしていたことが〈騒動〉と受け止められていた傾向もあったのではないだろうか。 教育史の研究から、確かにこの時代は〈学校騒動〉の時代だったとの裏付けがあると、より説得的になると思う。教育史の観点からは、むしろ無理やり急激に学校制度を作ったことによる弊害や影響が語られていたように思う。ただ、これだけ当時の教育誌で問題視されていた〈学校騒動〉が、なぜ教育史ではそれほど重視されてこなかったことの方が印象に残った。同盟休校や旧制中学校・旧制高校の生徒の放埒が、むしろ好意的に語られている印象を受けるのはなぜだろうか。作品を時代背景のコンテクストの中で解釈するのは、当たり前のことでもあるが、それが『坊ちゃん』を対象に語られるというのは新鮮だった。 10月28日(土)9:30より中島淑子先生によるセミナーを実施しました。
10月28日(土)午前 9:30〜11:30に、201教室において実施しました。
講師に学び合う学び研究所長 中島淑子先生をお迎えして(身近な問題からはじめる教育実践論文の書き方)をテーマに行いました。 今回の継続講座は、少人数で和気藹々な雰囲気の中、質疑を交わしながら実施できました。 第1部 わが人生の論文との出会い □ 現職教員17年間のふりかえり □ 教育実践論文の地位向上をめざして ― 休 憩 ― 第2部 個人研究と学校研究における大切なこと □ 個人実践論文 □ 学校研究に想うこと 第1部 わが人生の論文との出会い □ 現職教員17年間のふりかえり 私は教育実習での担当教諭から群馬県佐波郡島小学校の記録と出会いました。「実践を文章にまとめることが教師としての成長になる」このことが、論文人生の始まり。 25歳:特別支援学級の実践を知多地区の論文応募に参加してみました。 30歳:2年理科 ひまわり成長の跡についてまとめ応募。 39歳:5年理科 子どもたちの感想記録についてまとめました。この論文で、はじめて校内のある先生から指導(成果の検証が甘い)を受け、地区論文審査で特選を取りました。 それまでは、教育実践論文は指導がされてきませんでした。 また、学校研究・紀要についても、どこかの研究をまねて、積み重なってきたように感じるものが多いと感じ来ました。やはり、検証が甘いように感じます。 大学に勤めるようになり、教育実践論文と学術論文の間に隔たりがあること感じてきました。 □ 教育実践論文の地位向上をめざして 学術論文では、検証に数値を用いる論文が多い。 教育方法学では、エピソード記述が中心となります。 深い学びにおける検証はどうあるべきか?あまり研究されていません。 例えば、子どもたちが授業で使用する主要語の出現率を分析して論文にまとめるケースもあります。 休 憩 第2部 個人研究と学校研究で大切なこと 〇:参加者の質問 ●:中島先生のコメント □ 個人実践論文 〇中島先生は、どうして論文を書こうと思ったのですか。●最初に、特別支援学級で行っていた、ある子どもの1年間の成長について具体的な記録が残っていました。1年間に一つは創造的な仕事をしようと決め、それから論文を毎年書いてきました。 ●実践をまとめて書く経験はありますか? 〇今、会社で毎週A4一枚の文章を書き社内ホームページに掲載し、80枚になりました。 ●書くことで、振り返り、成長する。過去を覚えている。ということになりますね。 ●哲学者が行っています。学術論文は検証できるものが多い。実践論文について言えば、例えば「金型を製作する工場では0.01ミリの違いを職人が極め、製品化している」こうした経験値が大切で、そうした部分はなかなか論文になっていない。 〇現場の先生は学術論文と実践論文のどちらを信じるのかな。 □ 学校研究に想うこと ●まず、テーマが大切で、具体的なもの(漢字が書ける子を)がいいですね。そして、テーマと検証がリンクしていることが大切です。論文の流れは、目的・方法・結果・考察となるが、目的には、目的0(個人の思いや願い)目的1(すべての生徒が意欲的に)目的2(今までどのように研究されてきたか)があり、特に、目的0を持つ必要があります。しかし、実際の論文には書きません。 ●教育実践の向上をめざして、学べる集団になってほしい。 教育方法学研究室は1950年代 重松先生が、教育の発展は、教育の科学化をめざすことであり、子どもの事実を語り、授業を検証する科学化を重視すべきと述べられました。 学校の授業研究会が一部の職員だけでなく、全職員の授業研究になるため、エビデンス(子どもの姿)をもとに語る授業検証の科学化が大切ということで締めくくられました。 参加された方からの振り返りを紹介します。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、書くことは振り返ることであり、成長につながるということです。 「人が何かのものを書くのはそのものを見るためだ」とロビン・G・コリングウッドは語っている。見ることは書くことの中で経験として成長してゆく。見ている事物がどんなものであるかは、それを描いてしまうまでわからないと英国の哲学者は言う。教育現場で起きている事実を書きとめ、空間的に立体的に展開している子どもたちの事実を立ち止まって見つめることで、価値の認識がはじまる。今日の講座では、成果の検証が中心的なテーマとして語られた。教室で起きている貴重な実践を後世に残すためには、教育の科学化を目指す必要を強く感じました。ありがとうございました。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、「文章でまとめる」こと。日々の実践・気づきをそのままにしないで、文章として記録するということです。 講師の先生の論文にまつわる経験を聴きながら、教育における論文の位置づけを知ることができました。教育の特殊性が論文にも表れていると感じました。教育の向上を目指すために、日々の経験や気づきを文章にまとめていくことからはじめ、そこにテーマ性を見出し、目的、方法、結果、考察とまとめ上げていくことが重要なことだと思いました。教育は、なかなか科学的に数値的表現が難しいが、教育の科学化を目指すことは忘れてはならないことだと思いました。 日頃、学校現場で感じているモヤモヤを文章に起こし、少しでも科学的に分析をしながら、記録していき、これからの教育のために少しでも役立つように取り組んでいきたいものです。また、会の中で、いろいろと話し合うことができ、とても有意義な時間となりました。受動的でなく、論議に参加していくことの重要性、楽しさも経験することができました。ありがとうございました。 第6回セミナー 中 止 のお知らせ
9月9日(土) 13:30〜15:30に予定をしておりました
第6回セミナー 「道徳授業における子どもの学びを捉える」につきまして、 講師の先生のご都合により中止とさせていただきます。 参加申し込みいただきました多数の方々、楽しみにしてみえたことと存じますが、 残念ながら中止の判断をいたしました。 次回、以降のセミナーへのご参加をお待ちしております。 第9回 12月セミナーのご案内
2023年12月9日(土) 13:30〜15:30
会 場 愛知文教大学 201教室 〒485-8565 愛知県小牧市大草5969-3 テーマ 教科書の中の平安文化を捉え直す―古文・絵巻・装束― 講 師 愛知文教大学 准教授 畠山大二郎先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定12月予定GOOGLE フォームより 第8回 11月セミナーのご案内
2023年11月18日(土) 13:30〜15:30
会 場 愛知文教大学 201教室 テーマ ”主体的・対話的で深い学び”の実現に向けての第一歩を 〜学びの作法と教材研究の体験を通して一緒に考えましょう〜」 講 師 学び合う学び研究所フェロー 栗木 智美先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定11月予定GOOGLE フォームより 第3回 継続講座3を開催します。
第3回 継続講座3を開催します。年間計画では、2回の実施計画をしておりましたが、講師都合により10月14日(土)を中止させていただきます。
2023年10月28日(土) 9:30〜11:30 午前中 1回実施 講座参加者との話し合いで、継続日時を調整します。 会 場 愛知文教大学 201教室 テーマ 身近な問題からはじめる教育実践論文の書き方 講 師 学び合う学び研究所長 中島 淑子 先生 申 込 学び合う学び研究所ホームページ 行事予定10月予定GOOGLE フォームよりお願いします。 8月20日(日)13:30より的場正美先生 シニアフェロー就任記念 シンポジウムを実施しました。
8月20日(日) 13:30〜15:30に、ウインクあいち 小会議室において実施しました。司会・報告にシニアフェロー 的場 正美先生、対談者に名古屋大学大学院講師 草薙佳奈子先生、コメンテーター 名古屋大学教授 Sarkar Arani Mohammad Reza 先生をお招きし、(世界から見た日本の教育)をテーマに行いました。
今回のシンポジウムには、小中高の先生方、研究者(ドイツ・中国からの留学生も含)、出版社、学生と多様な立場の方が39名集い実施できました。 第1部 提案と対談 □提案の趣旨 的場先生より □フロアーのグループで学び合い □草薙先生より(インドネシアのレッスンスタディ) □対 談(的場先生×草薙先生) ― 休 憩 ― 第2部 フロアーからの質問とモハメッド・アラニ先生よりのコメント □7グループからの質問 □アラニ先生からのコメント 第1部 □ スピーカーのご紹介 □ 的場先生より 〇提案の趣旨 ・日本の授業研究には理論がないのか? 日本やアジアの授業研究は実践優位、欧米の授業研究は理論優位といわれる ・戦前の教師は授業研究をどのように考えていたのか? 現在に通じるのか? ・学び合う経験の意味とは? 世界の授業研究に詳しい研究者との対談と本日参加されている授業実践者からも学び合いたい。 ●参加者への(問い1)「あなたが最初に出会った授業研究は、いつ?どこで?ですか」 グループごとに交流を行いました。(6分)自己紹介・問いについての各自の考え・意見交流 〇歴史から学ぶ 授業研究の精神 ・東京師範学校 校則改正1875年・東京府師範学校「授業批判会」1885年 ・大正期の授業研究 理科教育研究会1922年 ・明治20年代の授業批評界の特徴 批評の基準・批判会の開催・批評内容 の事例を紹介 ・1960年以降➡1980年代 授業研究の衰退(校内暴力・不登校・教師の多忙化)➡1990年代 新しい学問領域(認知心理学・エスノグラフィー)➡授業研究の再発見(Lesson study・校内研修による学校づくり)➡WALSの設立(授業研究の世界への広がり) ・他者から学ぶ(Learning from Each Other)同僚から、子どもから、ベテランから、専門家から、助言者から、校長から、保護者から、学ぶ ➡ 日本の授業研究では、子どもの集団における学びや態度を丁寧に見つけている。 ドイツ・中国での授業研究の紹介 ●参加者への(問い2)「あなたは後輩に授業研究の何を伝えたいですか? 一つ挙げてください」 グループごとに交流を行いました。(7分)シンキングタイム・問いについての各自の考え・意見交流 ●グループで共有されたことを全体共有 ・高等学校ではあまり授業研究が行われていないが、子どもの認知科学レベルまで踏み込みながら子どもの学びをとらえていくような授業研究を進めていきたい。 ・グループでは多様な立場や視点の話し合いが生まれた。学生からは先輩の授業の良かった点を取り入れ改善点をいかしたい。授業者としては、子どもがどのように分かっていくのか。を協議することが有効になる。他の国の視点として、研究者の視点は先入観がないので重要である。授業研究は、教師のためになるが、最終的には子どもがどのように分かっていくのかを追求することである。 ・グループの交流では、授業研究の印象は「あまりやりたくない」ネガティブなものが多かった。それは、先生への授業評価からくるものではないか。授業研究は最終的に子供の成長につながっていくものでなくてはいけない。授業研究について、教師が楽しいと思える視点とプログラムが必要ではないか。 〇的場先生から 宮崎小学校での授業研究実習(授業記録の分析の具体的な事例)の紹介 〇授業研究とは、様々な(解釈)共同体(意味を保持・生成)する営み 言葉➡現象を切り取る➡意味 概念の揺らぎ➡分節された事実に新しい気づきが生まれる。 □ 草薙先生より(インドネシアのレッスンスタディ) 〇今回のシンポジウム(現場の先生、研究者、学生が学ぶ場)は世界でも珍しいものです。 私が授業研究で一番大切にしていることは、「先生が楽しく学び合っていること。いいことでも押し付けにならないようにしたい」わざわざ週末に学び合いたいことは何かを研究テーマです。日本から発信された授業研究がインドネシアでどのように再文脈化されたかを探るため、昨日までインドネシアにおりました。 ・授業研究の目的 教育の質の向上 ・社会文化背景の違い 異なる前提(通学の様子・学校の様子・授業研究の様子) ・どのように授業が始まるのか? ・授業デザインと教授法(ワークシートの例) ・授業の様子をビデオで視聴 ・授業研究の文化はどのように作るのか インドネシアでは、校長の力が大きく、授業研究は簡単に始まる。それが、果たして教師にとっていいことなのか? 内側から授業・学校改革することの難しさを感じている。 ■対 談 (的場先生×草薙先生) 的場先生:ドイツでは、授業研究をすることが、教師にとっては、自身のステップアップのために道具になっています。 草薙先生:インドネスアの場合は、LS(レッスンスタディー)を取り組む理由は、学校が授業研究をしていますよといったアッピールの材料にされています。 的場先生:アフリカでは、LSはやっていられない。現実は教室がなく、子どもは100人を超えていて、授業研究以前の問題です。アラニ先生は、アフリカへ行っていますので後ほど語ってください。日本は、授業研究をやっていない学校はない。何のためにやっているのか?考えていきたいです。 草薙先生:世界では、やはり、放っておくと、先生間や子供の競争になりがちで、ベストスクールを目指すことになる。こうした学び合いは、どのようなことだと思われますか? 的場先生:韓国でも授業改善点に注目している。アメリカでも評価される。いわゆる俎板の鯉にされている。日本でも授業案を書くと研究主任から直される。しかし、授業研究をすると楽しいと言っている先生には、何が起きているのか。楽しいとは「平和」につながっていくのではないか。子どもが楽しいときは、平和のことを考える時間になっており、どうなると楽しいになるのか。もう少し、地に足の着いた授業研究ができないだろうか。 草薙先生:授業研究はいろんな側面がありますが、的場先生にとって一番大切にしていることは何ですか? 的場先生:メチャブリですね(笑い)私は研究者です。研究者が授業実践にどうかかわるかと共通する問題です。研究者は授業記録の解釈に壁を作って示します。果たして、日本の授業研究はそうなんだろうか?佐藤学先生の「教授学が優位なのはおかしい」との批判から急激に変化した。お互いの学びの意味を考えている。私の悩みは、研究者としての立場と授業を一緒に考える伴走者として立場があります。自分の考え方がひっくり返り、新しい考えが生まれる。 草薙先生:授業研究の中で、子どもの様子を語る先生を増やしていきたい。インドネシアでは、職員室では世間話をよくするが、子どもの話を始めると競争意識が働いてしまいます。ここえ超えていうことが難しいです。 的場先生:対談は、どこまでも続きますね。ここで休憩をはさみます。その間、対談を聴いて感じたこと、グループで質問を考えてください。 アラニ先生:今の日本は、先生方のエネルギーが足りないと感じます。学校を訪問すると、「短時間で振り返る方法はありませんか?」と訊かれる。難しいことですが、どうですか 的場先生:難しいことでもないです。たとえば、校長が授業ビデオを撮り、授業後に職員室で再生します。すると、自由に話が始まる学校があります。わざわざ集まってはじめなくても実現しています。子どもたちが、自分たちで授業を撮って子どもたちが授業研究を始める。これは感心しました。「忙しい時に研究ができるかよ。」との声はありますね。 草薙先生:ワークバランスで早く帰るからできないとの声がありますが、学び合う会に参加する意味は個人の学びたい思いとネットワークの力だと思います。いろんな困難がありますが、的場先生がネットワークの重要性を話されましたように、インドネシアでは、LSを中心となり推進される先生がみえ、さらに研究者がオンラインで助言するというシステムがあります。 休 憩 第2部 フロアーからの質問とモハメッド・アラニ先生よりのコメント □ グループからの質問 ・私の学校では、授業を見合う週間があります。授業を見に行っていいですかと尋ねると、おびえられます。いわずに行くと固まります。どうしたらいいでしょうか。 ・モチベーションが大切との考えに同感です。みんなが横並び主義で、先生たちがなかなか挑戦しません。 ・世界のLSを見せていただき、日本のLSは理論にもとづかないと言われました。世界は理論的です。それにもかかわらず、なぜ、広がったのか?やはり、型なのか?日本のようなLSに挑戦している国はありますか? ・インドネシアは女性の先生が多いと感じたが実情は? ・ドイツの留学生と話し、その前向きさに感心しました。やはり、日本も昼から子どもを返した方がいいのでしょうか。質問です。どうしても、授業は教師が指導する場という意識はぬぐえない。本来、子どもが主導という授業に変わる日はいつなのか。 ・授業研究をする時間がない。やれない。やりたくない。そういう状況で、こんなアイデアはどうでしょうか。1年に一回でいいので、みんなのアイデアをねって楽しくできる授業研究をする。 ・愛知文教大学の学生の姿を見て、どうしてこう育つのか? □ アラニ先生からのコメント たくさんの質問をしていただき、ありがとうございました。 〇授業研究には、もっと教師に責任を渡していく必要があります。モチベーションだけでは、教師の専門性を高度化できません。教材研究だけではなく、カリキュラム開発など教師アイデンティテーをもつことが、教師を主体的にすることができます。 〇文化かイデオロギーかです。世界的に話題になっていますが、子どもを早く返すか、教師が早く帰るか。こうして、子どもたちは空いた時間で自発的な力をつけるかもしれません。 〇我々には三つの言葉が必要です。現場の言葉(実践の言語)、行政との対話、研究者の言語、テクニカル、プラクティカル、これからどうするか、という三つの言葉が必要です。 〇海外は、抽象からはじまります。日本は、具体からはじまります。日本は、具体的な実践から考えています。出発点が違います。経験から学ぶか、振り返りの場をとおして学ぶか。やはり、振り返りから学ぶものです。我々は鏡を持っています。さまざまな文化・国・システム・制度があります。他者の鏡をとおして、自分を見て問題を明確にしていく。これからは、それが目的になります。現場と研究者のアプローチが大切です。現場を尊重しなければいけません。 □ 愛知文教大学 富田健弘学長あいさつ □ 閉会の言葉 参加された方からの振り返りを紹介します。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、授業研究が授業者の評価にならず、参加者全員の学びの場になるためにはどうしたらいいのか、考えさせられました。 普段の授業研究でも、どうしても教師の動きや発問などに意識が向いてしまうが、子供の何気ない言葉やつぶやきなどを拾うことによってそこから学ぶ事が大切だと改めて感じました。大変勉強になりました。ありがとうございました。 ◆今日の講座で学んだ中で重要だと思ったことは、Lesson Study の意義です。 的場先生が日本の教育方法の分野で取り組んでこられた歴史を知ることを通して、私自身も、なぜこの分野に心を惹かれるのかを考える2時間でした。「後輩に授業研究の何を伝えたいのか?」と問われたとき、授業を通して子どもを知ることや仲間(教師)とつながることの大切さを、改めてかみしめました。すでに現役を退きましたが、様々な機会を通して、後輩たちに授業研究の意義を伝え続けたいと思いました。 草薙先生のインドネシアにおける協同的な学びの再文脈化は、何度聞いても考えさせられます。再文脈化は、日本の中でも起こっていますし、学校ごとでも起こりえる現象です。型ではなく、本質を受け継ぐことの重みを再認識しました。 アラニ先生は、いつも授業の中で、「教師に責任を持たせる」ことを強調されます。自分の意志で教育の一端を請け負っていくことの責任の重さは、裏を返せば「学ぶことを楽しむ」ことの原点でもあります。また、「他者の鏡で自らを見る」「他国のLSを見ることで、日本を見る」という言葉は、研究者としての大切なレンズを教えていただいたような気がしました。こういったお話を、研究者だけでなく、現場の教師や学生を交えて共有できることに本セミナーの価値を感じます。企画していただいた皆様、本当にありがとうございました。 |
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